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高校中退、アイドル解雇。絶望から天職を見つけるまでの波乱万丈

電車に飛び込むイメトレばかりしていた

伊藤麻希 アイドルとレスラーの“二足の草鞋”生活が始まった。しかし、アイドルとしては迷走状態。悩んだ挙句、活動休止していた時期がある。 「アイドルとして毎週ライブするようになってから、逆に刺激がなくなったというか。この先に自分が何をしたいのかわからなくて、ふさぎこむようになりました。それで、高校も中退。人気も伸びなかったし、自分のことがどんどん嫌いになっていったんです」  彼女は心に“病み”を抱え、頭の中ではいつも「死ぬ」ことしか浮かばなくなっていたという。 「何回も、電車に飛び込むイメージトレーニングしていたんです。“早く死のう”と思って。本当に、死ぬことしか頭になくて。人生を諦めようと思っていたんです」  そんな彼女を救ったのが、テレビで観た『めちゃめちゃイケてるッ!』(フジテレビ)だった。 「テレビも憂鬱になるから観たくなかったんです。羨ましいっていうのもあったし、自分はその世界に入れなかった悔しさも感じて。でも唯一『めちゃイケ』だけは観れたんです。  私は岡村(隆史)さんが好きで。病気を乗り越えて頑張っている姿を眺めていたら、“やっぱり私もこの世界に入りたいし、もう一度頑張ってみよう”と思ったんです」

福岡から上京するもアイドルグループをクビに

伊藤麻希 アイドル活動にも復帰し、少しずつ、やる気を取り戻した彼女。ついにはレスラーになるという口実で、福岡から単身上京した。  東京では寮で暮らしながら、昼はプロレス練習生として汗水を流し、夜は慣れないアルバイトも始めた。 「LinQの偉い人とお母さんにだけ言って勝手に上京しましたね。じつは、お父さんにも話していなかったです。反対されるのもわかっていたから。ただ新しい人生を歩みたかった。東京にいけばどうにかなるのかなって思っていた」  上京してからのアイドル活動は、3か月に1回というペースのためダンスのフリを忘れてしまうこともあったという。しかしそれ以上に、生活費を稼ぐために働くので精いっぱいだった。 「貯金ゼロで上京したため、飲み屋で働いていました。最初は歌舞伎町に行ったんですよ。面接には受かったんですけど、その店の闇が深くて。あまりに深すぎて働けなかったですね(笑)。そこまでしてお金はいらないなって。蒲田や大森らへんのガールズバーで働いていました」 「当初は、そこまでプロレスに対して愛情がなかったので練習がきつかった」と語る伊藤さん。半年の練習生期間を経て、無事デビューする。 「デビューはシングル戦でした。今、タッグを組んでいる山下実優(東女所属選手)と試合して、ぼこぼこにされました。でも試合後にファンが物販に来てくれて、長蛇の列ができたんです。『伊藤ちゃん、大丈夫?』『すごかったよ』って声をかけてくれて。それを聞くと、痛みも吹っ飛びました」
山下実優

現在はタッグを組む山下実優選手(左)写真提供:DDTプロレスリング

 レスラーとして人気が出つつある中、アイドルとしてはLinQをクビになってしまう。しかし、それさえもポジティブに受け止めていた。 「アイドルグループが世の中に乱立するなか、メンバーたちには、本当に上を目指す気があるのか、改めて強い意思が問われていました。私は当時、すでにレスラーとして活動していたので。“アイドルとして本当にやっていきたい”とは思えなかったんです」  グループは22人から11人に再編成。そのなかに伊藤さんは入っていなかった。そして、“闘うクビドル”というキャッチコピーが誕生した。 <おはよう!LinQクビになりました!クビになっても闘うアイドル伊藤麻希だよ!!>(2017年6月20日のツイート)
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リング上で整形を告白
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出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration

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