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これまで皇室が途絶えなかったのは何故か/倉山満

これまで皇室が途絶えなかったのは何故か

 なぜ皇室は続いてきたのか。  偶々(たまたま)である。  この場合の「偶々」とは、軽い意味ではない。「これさえやっておけば絶対に大丈夫」などという方法は無い。
言論ストロングスタイル

3月に安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の初会合が開かれた際の菅義偉首相と座長の清家篤元慶應義塾塾長(手前)。菅首相は次世代の危機を救う宰相となるのか 写真/時事通信社

 たとえば、一部保守に蔓延している「天皇は国民の為に祈り続けてきたから、滅ぼされなかったのだ」などという謬論だ。長い皇室の歴史には、幼くして崩御された六条天皇や四条天皇のように、歴代天皇と同じようには儀式を行えなかった方々もいる。近代でも国事に忙殺された明治天皇は祭祀に御熱心ではなかったし、ご病気に悩まされた大正天皇も「祈る天皇」ではありえなかった。 「天皇は祈っているから滅ぼされないのだ」という主張が正しいなら、伊勢の式年遷宮をはじめ多くの祈りが途絶えた戦国時代に皇室は断絶していなければならない。  祈り(祭祀)に限らず、「○○をしたから皇室は続いてきたのだ」などという絶対の原理はないのだ。皇室が途絶えそうな危機は何度もあったが、そのたびに皇室を守ろうとする人々が現れて、タマタマ、その人々の意思が勝っただけなのだ。

皇室が途絶えそうな危機のたびに、守ろうとする人々が現れた

 古代、自ら「王」を名乗る蘇我入鹿の専横に対し、中臣鎌足が立ち上がり勝利した。  奈良時代、皇位を窺った弓削道鏡の野望を、和気清麻呂が阻止した。  鎌倉時代末期、もはや統治能力を失った北条氏から政治を取り戻そうとした後醍醐天皇を、楠木正成が倒幕に導いた。  室町の動乱期、足利義教は後花園天皇の英才教育に心血を注いだ。後花園天皇の時代は、三種の神器が強奪され、応仁の乱で国中が疲弊する暗黒の時代だった。だからこそ、英邁な天皇に民は心を寄せた。  そして江戸時代、新井白石は閑院宮家を創設した。約100年後、後桃園天皇には皇子が無かったため、閑院宮家から兼仁親王を迎えた。英主として名を遺す光格天皇であり、今の皇室の直接の祖である。  中臣鎌足、和気清麻呂、楠木正成、足利義教、新井白石、そして菅義偉。
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菅総理、300年に一度の名宰相として、歴史に名を遺す気はありませんか
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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