更新日:2021年08月02日 11:40
スポーツ

「夏の甲子園」予選で敗れ去った大物プロ野球選手の短すぎた夏

二刀流だった鈴木誠也も甲子園ならず

 広島東洋カープの若き4番打者として君臨し、日本代表にも選ばれた鈴木誠也も甲子園の土を踏むことなく夏を終えた。  二松学舎大付属(東東京)では1年秋からエースナンバーを背負い、最速148キロの快速球と多彩な変化球を投げ分ける本格派投手だった鈴木。また、打者としても高校通算43本塁打を記録するなど“二刀流”としてプロのスカウト陣に注目を浴びていた。  しかし、一度も甲子園出場ができないまま迎えた3年夏。準々決勝で成立学園と対戦すると、鈴木の速球対策をしていた相手に猛攻を食らい、早々とノックアウト。8回に再びマウンドに上がるもここでも連打を浴びて、まさかの逆転負け。エースで4番という重圧に耐えきれずに最後の夏も屈してしまった。

両リーグ首位打者の内川聖一は決勝で悔し涙

 最後に紹介するのは、横浜、福岡ソフトバンクを渡り歩き、現在は東京ヤクルトスワローズに所属する両リーグでの首位打者を達成した天才右打者の内川聖一。彼も甲子園を目前に涙を飲んだ一人だ。  父親が監督を務める大分工業(大分)に進学した内川は、当時から抜群のバッティングセンスを見せており、スカウトからも絶賛を受けていたもののケガで本領発揮できずにいた。  そんななか、迎えた3年の夏。キャプテンとしてチームを引っ張って県大会決勝まで進むものの、対戦相手の中津工業の投手に徹底マークされた内川は自身の打撃技術を発揮できないまま0-4であっけなく敗れ去った。  自身のため、チームのため、父のためにも悲願だった甲子園出場はならなかったが、その秋、横浜ベイスターズに1位指名されてプロ入り。ブレイクまでに時間はかかったが、球史に残る名選手へと成長したのだった。  甲子園という晴れやかな夢舞台に立てなかった現役選手たちを紹介してきたが、高校時代の悔しさがあるからこそ、彼らはその後の鍛錬を経て一流選手へとのぼり詰めることができたのかもしれない――。 文/木田トウセイ
テレビドラマとお笑い、野球をこよなく愛するアラサーライター。
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