更新日:2021年08月14日 12:24
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<純烈物語>今秋公開 映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』のはじまり― 酒井が口にした夢を山本康平は憶えていた

山本康平

映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』で共演した山本康平氏(右端)

<第109回>『スーパー戦闘 純烈ジャー』のはじまり―― 酒井が口にした夢を山本康平は憶えていた

 2018年10月5日、東京ドームシティラクーアガーデンステージでは純烈9枚目のシングル『プロポーズ』出荷10万枚突破を記念した“大ヒット御礼イベント”が、雨天の中でおこなわれていた。そこはかつて、ヒーローショーが開催された後楽園ゆうえんちがあった場所。 『百獣戦隊ガオレンジャー』で酒井一圭と共演した金子昇、『忍風戦隊ハリケンジャー』へ白川裕二郎とともに出演している長澤奈央がゲストで来場し、それぞれかつての盟友に花束を贈呈。両作品のオープニング曲をメンバーと歌うなど、特撮ヒーローに寄せたステージとなった。  このイベントに東映特撮ファンクラブ(TTFC)の番組『忍び道』で取材へ来ていたのが、山本康平。ハリケンジャーではハリケンイエロー役で、白川や長澤と苦楽をともにしている。  出役で呼ばれたわけではなかったのだが、酒井にステージへ誘導された山本もかつての仲間たちと『ハリケンジャー参上』を歌った。実はこのイベントが、9月10日公開映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』の源流と言えるのだ。

東京ドームでヒーローショーと歌謡ショーを合体させたものをやりたい

山本康平2

山本康平氏

「あのステージ上で酒井君が『もしも紅白歌合戦に出場できたら、純烈としていつか東京ドーム公演をやるのが次なる夢。そしてヒーローショーと歌謡ショーを合体させたものをやりたい』って言ったんです。『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』(2013年、東映ビデオ)へ出てもらった時に『すげーっ、本当に歌手やってんだ! あっち側にいったんだなあ……』と思っただけに、戦隊についてそんな夢を持っていたのかって驚きました。  ただ、そのあと紅白初出場が決まって、手が届かぬような存在になったじゃないですか。そんな中で、自分の別企画を東映さんへ持っていった時に『以前、ヒーローモノをやっていた純烈で何かできないか』と名前を出されたんです」  あの日、酒井が口にしたことを山本はずっと頭の片隅へ残していた。紅白出場アーティストとなった純烈を引っ張り出すハードルは世間的価値観に当てはめると、けっして低くはない。  じっさい、山本は「どうですかね……純烈は難しいと思いますよ」と、安請け合いしなかった。それは、自身の中にあったかつての仲間との距離感から弾き出された答えでもあった。  ラクーアにおける酒井の発言を憶えていなかったら、話はここで終わっていただろう。「まあ、聞いてみるのはタダだし、酒井君もそういう話をしていたし……」と、山本はわずか2、3行の簡潔なメールを送ってみた。 「どんなことがやりたい?」 「映画をやりたい!」  酒井からの提示は、この時点でド直球なほど明確だった。純烈にとってラッキーだったのは、山本が単なる伝書鳩ではなかったことだ。  役者であるとともに、自身でプランを立て企画書を作成できる人間だった。“10 YEARS AFTER”もハリケンジャーに対する強い思いによって、長澤とともに自ら動いて作品化させたものだ。 「この世界に入る前から、こういうのをやろうよと自分から言うタイプではありました。芝居が好きだから自分も演じるけど、性格的に派手ではないので制作に関わるのは合っているんだと思います。それで10 YEARS AFTERの時に初めて企画書というよりも台本を何回も書いては出して、最終的には脚本家の宮下隼一さんにお願いしたんですけど、こちらの台本を踏襲していただいて。  純烈の名前を出した方の一人が純烈ジャーのプロデューサー・中野剛さんで、10 YEARS AFTERもやっていただいたんです。その中野さんから企画書を書くように言われたので、この話はいけると思いましたね」  世は新型コロナウイルスの影響が顕著化し、1度目の緊急事態宣言が検討され始めた時期。純烈のライブスケジュールが次々と消えていく中で酒井に時間ができ、プロデューサーや東映サイドも含めたミーティングの場が持たれた。  会うまでは、純烈らしく笑いに特化したものを提案されると想定していたのだが、特撮戦隊ヒーロー作品をガッチリやりたいという酒井の情熱が伝わってきた。ただグループの特色を踏まえると、当然ながら劇場に足を運ぶ対象はマダム層が中心となる。
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おばちゃんたちはついてきてくれます!
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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