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<純烈物語>最後の大江戸温泉ライブに来られなかった最前列のファンへ思いを届けて<第117回>

最前列のド真ん中の空席に

「顔を見たら九州、北海道、関西といろんなところから来てくれているけど、何が今日は忘れられないって、最前列のド真ん中が空いているっていうね。そこにはひょっとして、大江戸温泉物語の神が座っていたのかも……見守っていただいたんだと思います」  有観客ライブ再開後、行く先々で見てきた光景だった。チケットを確保し、ようやく純烈に会えると胸をときめかせながら当日を待っていても、コロナの影響で泣く泣く諦めざるを得なくなったファンの存在を、純烈はいつでも忘れずにいる。  名古屋のディナーショーでも一番ステージに近い席が空いていた。隣に座る友人に聞いたところ、後上ファンのその方はショーで会えると楽しみにしていながら、会社内にコロナ感染者が出たことから濃厚接触者認定され、来られなくなったのだという。  昼夜チケットを取っており、合わせて5万円分を棒に振らなければならなった。「自分がコロナへかかったわけではないのに、無理しないことを選択してくれた」と、その方のために10秒間だけ動画を録っていいよと友人をステージにあげ、後上が「また来てください!」とメッセージを送った。  この日も最前列には、感染対策のためフェイスシールドが置かれていた。ファンが座っていないイスの上に、ポツンとあるこの時代を象徴するアイテム――そんな光景の中で、純烈にとってのお台場温泉物語は終わりを告げる。 「酒井さんも神が座っていると言っていましたけど、最初のライブの日が雨で今日も降っていて……運命的な感じがしましたね」(平澤さん)  2018年7月6日、その日は台風並みの雨だった。そしてこの日も外はザーザーぶり。20日前には聞こえていたセミの鳴き声もなく、足を運べなかったファンの涙雨に思えた。  思いとは、もともと無形のものである。そこに在るか否かは、受け取る側がどう感じるか。  酒井が見守る神の存在を感じ取ったのであれば、その方の思いは届いていたのだ――。 撮影/渡辺秀之
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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