渦中のウクライナで市民の日常を捉えた日本人写真家。工作員と疑われたことも
二度目のウクライナ入りでは“空襲警報慣れ”を実感
日本に帰国してから数週間後、「取材が足りていない」と感じていた児玉さんは、再びウクライナに向かう。まずはポーランドの首都・ワルシャワに降り立った。 「ワルシャワからキーウ(キエフ)間のバスの車内は、難民の方々の帰還で重たい雰囲気でした。バスから見える壊された建物ばかりの風景にため息をついていました。かける言葉も見つからず、話しかけられません」 ロシアの侵攻前に隣国ポーランドに避難していた人々は、テレビやインターネットなどで状況を理解していたはずだが、実際に目の当たりにしたときはさぞショックだったに違いない。 ウクライナ取材が二回目になると“空襲警報慣れ”してくるという。市民は空襲警報が鳴っても逃げない。児玉さん自身もそうだった。 「1回目に行ったときはシェルターに逃げていましたが、2回目では避難しませんでした。本当は逃げたほうがいいのでしょうが、ほんと頻繁に鳴るのでキリがないんです」
国外に避難する人も多いなか、国内に残る人たちは…
キエフで雇うガイドは、車の運転付きで1日約3万5000円。それに加えてガソリン代。すべて自腹で行っている児玉さんには非常に大きな出費だった。 「大手メディアなどが優秀なガイドを法外な値段で雇っていて。やはり、その金額のガイドでは言葉の問題があったり、早く仕事を切り上げようとしたりする」 ウクライナの国外に避難する人も多い。そんななか、ホームレスたちは身分証明書を持っておらず、避難ができない状況にあったという。施設に行ってもスパイや工作員と疑われてしまい、中に入ることができない。スマホも持っていないため、現在の情報が得られないのだ。 「最初に訪れた3月は非常に寒く、ホームレスの人たちは焚火をしないといけないので大変そうでしたね」 また、現地に残っている市民のなかには(親ロ派を除き)当然、ロシアに対して憤りを抱いている人も少なくなかったと話す。 「いちばん印象的だったのが、ハルキウで会ったおばあちゃんです。第二次世界大戦の独ソ戦を経験していました。『ナチスの連中はチョコレートをくれた。ロシア兵は食料を盗んでいく単なる盗人だ!』などと激怒していたのですが、ガイドはこれ以上、通訳してくれませんでしたね」 一刻も早い事態の収束を願う。 <取材・文/嵐よういち>旅行作家、旅行ジャーナリスト。著書の『ブラックロード』シリーズは10冊を数える。近著に『ウクライナに行ってきました ロシア周辺国をめぐる旅』(彩図社)がある。人生哲学「楽しくなければ人生じゃない」
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