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小学生男子の性を目覚めさせた「縦笛」。中年になっても色褪せないその思い出

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それは一体、誰の縦笛なのか

 おかしい。こんなところに縦笛があるはずがない。縦笛は専用の袋に入れて机の横のところにかけるシステムになっている。チラリと自分の机を見たら、やはり膨らみのある袋がぶら下げられていた。つまり、この道具箱に入っている縦笛は自分のものではない。そして状況を考えるに、五十嵐さんのものである可能性が高い。  誰かが自分を縦笛盗みの犯人に仕立てようとしている。それはとても恐ろしいことだと感じたし、気持ち悪いものだとも感じた。そして、これが露見した場合、いくら否定しても犯人に仕立て上げられる、逃げることはできない、そう感じた。 「あれ、いまのって縦笛じゃ?」  横にいた吉岡がそう言った。どうやらあの一瞬で道具箱の中を見てしまったらしい。 「俺じゃない。勝手に入っていたんだ」  その言葉に吉岡は色々なことを察したらしく、静かに頷いた。 「だろうな」  僕のこの先の人生でこんなにも僕のことを信じてくれる奴が現れるだろうか。そう思うほどに吉岡は何も疑いなく僕の言葉を信じた。 「とりえず名前を確認したほうが」 「それは怖い」  縦笛にはそれぞれの名前が彫り込まれていた。ただ、それを確認する気にはなれなかった。状況的に間違いなく五十嵐さんの笛だろうけど、確認するまでは確定ではない。確定にしてはいけないような気がしたのだ。そこに五十嵐さんの名前が彫られているという事実を見届けたくなかった。 「埋めに行くしかないな」  判断の遅さが命取りになる。そう思った僕は即決した。俺が盗んだんじゃない、勝手に入っていたんだと言っても信じてもらえない。きっと親も呼ばれるだろう。それだけは避けたい。もうこれは闇から闇に葬ってしまうしかないのだ。こんな笛は存在しなかったのだ。 「そ、そうなのか?」  吉岡は明らかに戸惑いを見せたが、最終的には理解してくれた。

そして僕らは、「証拠」を隠滅しに行った

 幸いにして、道具箱の中には版画で使うために家から持ち寄った新聞紙が入っていた。周りを警戒しながら手探りで五十嵐さんの縦笛を新聞紙に包んだ。もう版画なんてどうでもいい。そんな思いで何層にも新聞紙を重ね、縦笛の痕跡を感じない、くしゃくしゃの新聞紙の塊を作り出した。  放課後になり、その塊を埋めに行く。吉岡も手伝いにきてくれた。どこがいいだろうかと検討した結果、山に埋めに行こうということになった。山に埋めれば絶対に発見されることはないだろうという狙いだ。僕らの山に対する信頼は異様に高い。ただ、僕らの住む街は平地に広がる港町で、周囲に山がなかった。山まで行くのには鉄道などを乗り継がねばならず、小学生の力では困難だった。 「山っぽいところに埋めよう」  なぜか、こういうものを埋めるのは山と相場が決まっている。そう信じて疑わなかった僕たちは、どうしても山に埋める必要があった。 「さあ、いこう、縦笛を埋める場所を探しに」  こうして僕たちの旅が始まったのだ。くしゃくしゃになった新聞紙の塊を手に。縦笛を埋めるための旅が。  とはいっても、小学生の機動力なので、ろくに移動することもできず、どこに埋めても見つかりそうで怖くなってしまい、最終的には吉岡の家に行って庭に埋めた。いま思うと吉岡の家はなかなかの金持ちだったらしく、立派な日本庭園があって、子象くらいはありそうな大きさの石の真横に埋めた。結局、最後まで怖くて名前の確認はできなかった。  縦笛を埋めたのはいいものの、それから苦悩の日々がはじまった。もし五十嵐さんの縦笛を探して本格的な捜査が始まったらどうしよう。警察が介入してきたらどうしよう。吉岡家の庭なんてすぐに掘り返されてしまう。そうなれば僕は逮捕されるだろう。それならば吉岡も幇助の罪とかで逮捕されて欲しい。とにかく眠れない日々が続いた。  本来、冒頭でも述べたように子供の頃の悩みなんて大半が笑い飛ばせるものである。こんなことで真剣に悩んでいたなんて子どもだね。大人になった時にそう思える悩みが大半だ。その心理を紐解くと「もう終わったこと」という感覚が大きい。時間が解決してくれるというやつだ。終わったことだから笑い飛ばせたりもする。  けれども、僕はこの五十嵐さん縦笛事件については一向に笑い飛ばすことができない。終わったことと認識できないのだ。そのことを思うと、いまだに僕の心の奥底のいちばん柔らかい部分をギュッと締め付けるのだ。  なぜそうなのか。それはたぶん、いちどもあの縦笛に向き合わなかったからだと思う。名前も確認せず、すぐに新聞紙に包んで埋めた。1秒たりとも向き合っていない。だから僕の中で終わっていないのだ。これが、「俺の道具箱に入っていたわー」と名乗り出たりして、疑いの目を向けられようとも、必死に釈明していれば、向き合ったことになる。いつかは「そんなこともあったよな、バカだよな」と笑い飛ばせたかもしれないのだ。 「終わらせなければならない」  突如としてその感情が沸き上がった。あの日の縦笛に向き合わなければならない。そして、もし可能ならば五十嵐さんを探し出し、盗んだわけではないと釈明し、でも埋めて隠したことを謝らなければならない。それをして初めて、何年か後に笑い飛ばせるんじゃないだろうか。
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時は経ち、あの日の縦笛を掘り返す日が来た
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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