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小学生男子の性を目覚めさせた「縦笛」。中年になっても色褪せないその思い出

時は経ち、あの日の縦笛を掘り返す日が来た

 僕はすぐに吉岡に連絡を取った。 「子供の頃にお前の家の庭に縦笛を埋めたじゃん。あれを掘りかえして欲しい」 「そんなことあったっけ?」  吉岡は忘れていた。 「埋めたよ。大きな石があったろ、その横に埋めた。いま実家住まいなんだろ?庭とか工事してないだろ?ちょっと掘りかえしてきてよ」 「やだよめんどくさい。雨が降ってるし」    吉岡は渋った。 「俺たちは決着をつけなければならない。終わらせなければならない。これは俺たちが始めた物語だ!」  僕の必死の説得の甲斐があって、吉岡はスコップをもって庭へと向かった。会話の音声に雨音が混じる。 「石のどっち側だよ」 「松の木があったろ、小さな松の木。その松の木と石を結んだライン上のちょうど1/3の地点に埋めた」  忘れることなんてない。 「うわー、砂利だらけで掘りにくいなー」    吉岡の声と共にザックザックとリズムの良い音が聞こえる。 「あ、なんかある。縦笛だ!」 「そう!それだ!それ、掘り起こしてくれ!」  電話口の僕もヒートアップする。

土から出てきたのは、何と……

「なんでこんなところに縦笛が。あ、名前が書いてある。ちょっとまてよ、擦れているし土がついていて読みにくいわ」  そこには五十嵐さんの名前が彫られているはずだ。またギュッと心の奥底が痛んだ。 「えーっと、名前は……吉岡たもつ、ちょ、これ俺の縦笛じゃねえか!」  そこに五十嵐さんの縦笛はなかった。あったのは吉岡の縦笛だった。 「なんでうちの庭に俺の縦笛が埋まっているんだよ」 「それはこっちが聞きてえよ、それは五十嵐さんの縦笛だったはずだ。二人で埋めたろ」  その言葉を受けて吉岡の記憶が蘇ったようだった。饒舌に説明を始める。 「あー、五十嵐さんの縦笛がなくなって、そのときにコイツ、道具箱に縦笛が入っていたら死ぬほど焦るんじゃねえ?って思って俺の縦笛を入れたんだった。案の定、焦ったまではいいけど、名前も確認せずに埋めるっていいだすから言い出すタイミングが掴めなくて、かといって掘り出すのもなんか汚いし面倒だしで、おれ親にすげー怒られて新しいやつ買ってもらったんだった」  僕を狼狽させるためだけに縦笛を犠牲にできる男、吉岡。 「めっちゃくちゃバカじゃん」 「大雨の中、家の庭を掘り起こしていること自体がすげえバカっぽい」  僕らはずっと笑いあった。  時間が解決してくれた過去のバカバカしい出来事はそれに向き合ったからこそ笑い飛ばせるのかもしれない。  昨今のご時世では、様々なことが向き合うまでもなく、自動的に回避されている。果たしてそれらは、長い時間が経ったあとに笑い飛ばせるだろうか。僕らはもっと様々なことに向き合う必要があるのかもしれない。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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