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元NHKアナ・藤井康生「喋ってくれない力士たち」から話を聞き出す技術

大相撲中継を約40年に渡り担当し、今年1月に定年となった大阪学院大学特任教授で元NHKアナウンサーの藤井康生さん。中継に欠かせないインタビューだが、力士といえば朴訥として寡黙なイメージも強い。40年の思い出話とともに、インタビューで話を引き出すノウハウと心構えを聞いた。

喋ってくれない力士たち

藤井康生さん

――最近では変化しつつありますが、かつては力士はあまり喋らないようなイメージもありました。 藤井康生さん(以下、藤井):私が大相撲担当になったのが昭和59年なのですが、当時はやはり「力士たるもの」というイメージがあるので、「あまり人前でベラベラ喋るな」と指導をする親方もいました。 ――なぜ喋らないことが良いとされていたんでしょうか。 藤井:勝った力士にインタビューをしますが、支度部屋のテレビではNHKの大相撲中継が流れているので、その力士に負けた相手が見ているかもしれません。勝った自分は嬉しくても、相手の気持ちを慮るということですね。 ――まさに「相撲”道”」ですね。そういった考えを顕著に持っていたのは、どの親方でしたか? 藤井:二子山親方(初代貴ノ花)です。最近、息子の若乃花さん(花田虎上)とよく仕事で一緒になって楽しく話しますが、彼は二子山親方の教えもあり、現役時代は喋ってくれませんでした。同じ二子山部屋の安芸乃島さんも、インタビューで全然喋ってくれず大変でした(笑)。 ――安芸乃島関は、インタビューの回数も多かった力士ですね。 藤井:金星(横綱からの勝利)も多かったのでよくインタビューしました。彼はすぐ「覚えてません」って答えるんですよ(笑)。「では、覚えている範囲で教えてください」と振っても「覚えてません」と返ってきたのを思い出しますね(笑)。

苦い思い出の優勝インタビュー

――うまくいったインタビューの思い出はありますか? 藤井:ほぼないです(笑)。私がはじめて優勝インタビューを担当したのが、昭和63年の1月場所で、当時は、表彰式の前に支度部屋で優勝力士に話を聞くスタイルでした。旭富士(現:伊勢ケ浜親方)が初優勝した場所で、「放送席、放送席」と呼び出して、質問を始めたんですが、これがまぁ喋らない!(笑)どんな質問をしても「そっすね」ばっかりなんですよ。 周りに新聞記者たちがいるんですが「ちゃんと聞けよ」みたいな雰囲気になって、そのまま終わってしまいました。先輩にもこっぴどく叱られましたよ。 ――苦いデビュー戦になりましたね。 藤井:次に優勝インタビューを担当したのが、平成3年1月場所で、優勝は霧島(現:陸奥親方)なんですが、これがまた喋らない(笑)。当時は、大乃国や千代の富士や北勝海など、喋ってくれる力士も優勝していたんですが、なぜか私の担当する場所だけ、喋らない力士が優勝するんですよ。このふたつのインタビューは一生忘れないでしょうね。
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インタビューに成功はない
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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