「放置すると近所の目が怖い」誰も欲しがらない田舎の“負”動産という呪い/猫山課長
【日本の99%は山手線からは見えない 第3回】
実家に行くと、いつもうんざりした気分になる。別に両親と話したくないわけじゃない。このクソでかい堅牢な造りの家。この存在にうんざりしてしまう。
「なあ、この家ってさ、どうするつもり? 俺は住む気はないけど……」
それとなく父親に聞いてみる。答えなんて返ってこないことはわかっている。
「ああ、まあなあ……」
父親はこちらを見もせず、昼からビールを飲んでいる。
もし、両親が介護施設に入ったり、亡くなったりしたら、この家はどうすればいいのか? 実家の建物を見るたびに、そんなことを考えるようになってしまった。
以前はそんなことは考えなかった。両親は元気だったから、彼らはこの家で永遠に住み続けるような気がしていたのだ。でも、そんなことはあり得ない。人は誰しも老いて、いずれ死にゆく存在だ。永遠にその家に住み続けるなんてできるわけがない。
でも、若い頃はそこまで考えない。自分を取り巻く環境は、そんなに変わらないという強いバイアスに支配されてしまっている。
都合の悪いことは考えない。そんな姿勢が確かにあった。
自分も年をとり、親も見るからに衰えていくと、来るべき未来がクリアカットに見えてくる。「親の後始末」が徐々に実体を帯びてくる。それは不可避で不都合な宿題として近づいてくる。
最悪、モノは捨てればいい。しかし、家や土地などの不動産はどうしたらいいのか? 家や土地は、基本的に所有権を放棄することができない。「もういりません」と放置することができない。だから、売却して所有権が移るまで、管理しなければならない。
父親は完全にノープランだ。当然に僕が相続してなんとかすると考えているのだろう。それどころか「価値ある財産として残してやった」と思っているのかもしれない。
こんな田舎の中古住居など、価値なんてほとんどないというのに。
親も子供も「都合の悪いこと」を考えない
田舎の中古住居なんて、ほぼ価値がない
金融機関勤務の現役課長、46歳。本業に勤しみながら「半径5mの見え方を変えるnote作家」として執筆活動を行い、SNSで人気に。所属先金融機関では社員初の副業許可をとりつけ、不動産投資の会社も経営している。noteの投稿以外に音声プラットフォーム「voicy」でも配信を開始。初著書『銀行マンの凄すぎる掟 ―クソ環境サバイバル術』が発売中。Xアカウント (@nekoyamamanager)
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