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球界の異端児トレバー・バウアーが自軍に激怒。DeNAは優勝争いに参加できるか

MLBでは突然罵り合いが始まることも

 MLBでは自軍のパフォーマンスに苛立った選手が試合中に激高することはよくあるし、仲間同士が胸ぐらを掴み合うことも、ままある。前職のサンフランシスコ・ジャイアンツでこんな経験をした。  試合中、内野手のベルとケントが互いの守備を罵りはじめた。チームメイトのボンズがなだめに入ろうとすると、「外野のお前は引っ込んでろ!」とボンズを突き返した。  ケントは’00年のMVP、ボンズは計7回のMVP受賞者で、ベルに至っては祖父の代から3代続く生粋のメジャーリーガーだ。そんな彼らでさえ、感情のスイッチが入ると自制が利かなくなってしまう。バウアーはそんな日常のあるMLBで経験と実績を重ねてきた。

球界の異端児が移籍

1998年の遺伝子の横浜DeNAベイスターズ 集合写真

1998年、優勝当時の集合写真

 コロナ直前の’19年、ボンズやケントと取っ組み合ったあのベルが、MLBシンシナティ・レッズの監督に就任した。旧知の仲間のメジャー監督就任のニュースは個人的に喜ばしく、以来、私はシンシナティ・レッズの試合をチェックするようになった。  そんなある日、レッズに“球界きっての異端児”と名高い選手が移籍してきた。彼の名はトレバー・バウアー。  そのバウアーの先発試合をDAZNで解説する機会があった。調子はあまりよくなさそうだったが、往年の山本昌や桑田真澄のカーブのような軌道を描くナックルカーブは、日本人投手のピッチングを見ているようで、バウアーに親近感を覚えるようになった。  コロナの蔓延で短縮シーズンとなった翌’20年、バウアーは投手にとって最高の栄誉であるサイ・ヤング賞を受賞した。そのとき監督のベルが、バウアーをこう評したのだ。 「彼の勝利に対する貪欲な姿勢や、勝利を掴むための周到な準備は、誰もが真似のできるものではない。トレバーは受賞に相応しい投手だよ」
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ウィナーにもルーザーにもなる?監督の真意
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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