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中年男性に友人ができる際、「出会い」のきっかけが曖昧な理由

そもそも、出会いであると認識していない

kinemaPAR512602302_TP_V②そもそも重要な出会いだと認識していない  マサやんは「クジラの刺青をいれるすげえやつ」とスガやんのことを認識しており、それに出会えたことを鮮烈に覚えている。けれども、刺青のことで頭がいっぱいだったスガやんは、そもそもマサやんのことをそこまで強烈に認識していない。なにやらゴチャゴチャ言いに来たやつ、くらいの認識だ。この認識の違いが、初めて会ったときの記憶の差に表れるわけだ。つまりこれが重要な出会いだと認識しているか否かの違いがある。 「でもさあ、刺青の件で知り合ったわけだけどさ、俺はもうマサやんが友達であることが自然な状態だからさ、初めて会った時って認識がないのよ。もうそれ以前もずっと友達な感じ。友達じゃないときが存在しない」  これが3つ目の要素だ。 ③知り合いであることが自然すぎて初めての出会いという認識がない  そこにあることが当たり前である物ほど、そのファーストインプレッションを強烈に意識することはない。初めて水を飲んだ日、初めて空気を吸った日、初めて米を食べた日、なんてものを記憶している人はいないけど、初めて北京ダックを食べた日はきっと特別なので、覚えているというやつだ。 「でもさあ、あのときなんでマサやんはイルカの刺青を入れろって言いに来たの?」  スガやんの言葉にマサやんが不敵に笑った。 「ふふふふふ、じつはさ、俺たち、初めて会ったのはあのときじゃねえんだよ」 「うそーー」

思い返すと同じ小学校だったりもする

 俄然、目が離せない、いや耳が離せない展開になってきた。初めてだと思っていた場面が実は初めてではなかった。これが初めて会った時のことを覚えていない4つ目の要素だ。 ④そもそも“初めて会った”の認識が違う 「東地区第4班」 「ひばり幼稚園脇の廃屋」 「カキ泥棒で班員全員が鬼軍曹に捕まる」  意味不明な単語を呟き続けるマサやん、僕にとっては意味不明だけど、スガやんにとっては琴線に触れる内容だったらしく、突如として大きな声をあげはじめた。 「ああああああああああああああああ、〇〇小学校!!!(正確に聞き取れなかった)」  どうやら、マサやんとスガやん、同じ小学校の同じ班で集団登校していたらしい。話の流れから見るに、それはごく短期間で、引っ越しが多かったマサやんはすぐに別の学校に転校してしまったようだった。  ただ、たくさんの転校を経たなかで、一緒に柿泥棒をするまで仲良くしてくれたスガやんの班のことをよく覚えていたようだった。 「最初は、確かに止めに行ったのよ。刺青を入れるとサウナに入れなくなるぞ、と忠告しに行ったのよ、松本さんに頼まれて。それで会ってみたらスガやんじゃん。すぐに分かったよ」  ただ、スガやんの方は全く気付いていなかった。 「どうせなら、気付くまで黙っとこうと思ったら、きょう、初めて会った時の話になったからさ」  気付いていないスガやんにも刺青の時からじゃなく、そのずっと昔から友達だった気がするって感覚があって、それで本当に小学校からの友達だったなんて、なにこのいい話。こんな場末の居酒屋じゃなくてドラマとかでする話じゃないの。
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そして、エロ動画の世紀の発見をした人物が登場
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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