更新日:2023年11月15日 20:06
エンタメ

『アメリ』を「間違えて」買い付けた56歳の映画プロデューサーが“余命半年”のいま語る、映画業界に残した功績

1000万円出資させたスマートなやり方

――この世界ではいろんな会議が行われているんですね。 叶井:それで「いくら出せばいいですか?」と聞かれたから「1000万くらい出してくれると、ありがたいです」と言ったんだ。そしたら「検討します」と言われたから、すかさず「検討している間に、他社に取られてしまう可能性もありますけど、大丈夫ですか?」と踏み込んだわけだ。そしたら「やります」と出資してくれたね。 ――営業としては一見強引に思えますが、一方でスマートなやり方でもありますね。 叶井:そもそも『いかレスラー』に「検討する余地」なんてないからね。その場で「イカとタコは無理です」と言ってもらわないと、本当に検討するための会議が社内で行われてしまったら、もう出資してもらえないよ(笑)。

大企業に忍びこんで1000人の名刺を収集

叶井俊太郎――叶井さんといえば、『アメリ』(2003年)の大ヒットで名前が知れ渡りましたが、映画業界に入った当初はどんな若者だったんですか? 叶井:24歳のときにアルバトロス・フィルムという映画配給会社に入って、そこの宣伝部に配属されたんだ。映画のメディア戦略は外注すると、当然お金がかかるんだけど、当時はテレビ、新聞、出版などマスコミの名簿は外部の宣伝会社しか持っていなくて、うちの宣伝部にはその名簿がなかった。だから、外部の宣伝会社にそれを「見せてよ」と言っても、相手はそれが商売道具なんだから見せてくれるわけがない。 ――今でこそ、インターネットが普及して各社の問い合わせ先や担当者に、すぐアクセスできるようになりましたが、1990〜2000年代は電話が主流ですからね。 叶井:だから、「しょうがないな」と思って、自分で集めることにしたんだ。例えば「新しく入社しました叶井と言います。マスコミの名簿を作りたいので、御社のエンタメや映画担当の方を紹介してください」と言って、集英社や講談社など大手企業のどこかしらの編集部にアポイントメントを取るんだ。そして、当日その編集部に挨拶ついでに、当時は会社内に入ってしまえば、どのフロアにも行けたから、そのままほかの編集部にも入り込んだんだ。それで、半年で1000枚近くの名刺は集まったな。 ――半年で1000枚! 叶井:中には「名刺と資料だけ置いて帰ってくれ」という編集部もあったけど、俺も「名刺もらえないと帰れないんです!」と食い下がった。
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大反響があっても自らの成果は語らない
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編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある
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