テレ東の名物プロデューサー・佐久間宣行が40代半ばで会社を辞めたワケ
アスリートやタレントの引退や移籍がニュースになることはあっても、役員でもないサラリーマンの退職がニュースになることなど、ほぼない。しかし、今年3月末、テレビ東京の名物プロデューサー・佐久間宣行氏の退社が発表されると、多くのメディアで大々的に取り上げられた。
『ゴッドタン』『あちこちオードリー』など人気番組を生み出し、オールナイトニッポンのMCとしても活躍。そんなヒットメーカーがなぜ40代半ばで退職を決意したのか? そして、自身が築き上げた仕事哲学とは?
――人気番組を複数抱えるなかで、45歳で退社を決意した、現在の率直な心境をお聞かせください。
佐久間:昔より「テレビ東京っておもしろいよね」と思っていただける状況に貢献できた自負はあるので、会社員としてやり切ったという実感はあります。20年前、僕が入社した当時のテレビ東京って、お笑い番組はなにもなかった。『ASAYAN』は外部制作だし、自社のバラエティは深夜の『ギルガメッシュないと』くらい。
入社後に「コント番組を作りたい」と言ったら、先輩に「ウチを辞めて、フジテレビに行ったほうがいいよ。お金がないからテレ東じゃ一生無理だよ」って言われたのはよく覚えています。
――そんなアウェーな環境のなか、自分のやりたい番組が作れるようになったのは、いつ頃ですか?
佐久間:’05年に始まった『ゴッドタン』。この番組は「DVDで売れそうな企画があるからやらせてほしい」と始めました。予算がないから、マネタイズできなきゃ企画が通らないし、通ってもすぐ打ち切られる。番組内企画の『キス我慢選手権』のDVDがヒットしたので、「よし、あと1年間は続けられそうだ」とほっとしました。
――そうして名物プロデューサーとして地位を確立したのに、なぜこのタイミングで独立を?
佐久間:ひとつはここ数年、外部の方からのオファーが増えたことです。あくまで会社員なので、自分が「やってみたい」と思っても受けられない仕事も多かった。会社はすごく理解があって、特別に許可してもいいという提案をもらいました。
でも、僕が変な前例になって、まだ実績のない若手が「自分たちも好きなようにやりたいんですけど」と言いだしたら現場が破綻する。あと、管理職になって、現場以外の仕事が増えたのも大きな理由のひとつです。
――出世には興味がなかった。
佐久間:やっぱり体力的なキツさもあるので、「40代になったら現場が嫌になって、管理職に落ち着くのかな」なんて思っていました。でも、いざ自分が40代半ばになっても、まだ現場でやりたい企画が10個ぐらいあるし、おそらく5年後も同じ。
「若手に道を譲らなくちゃ」と思う一方で、一度きりの人生だし、苦手なことをやるよりは、やれる限りは好きなことをやりたいという気持ちのほうが強くなっていったんです。だったら、独立して好きなように生きてみようと。そもそも自分でやりたい企画が10個ある管理職なんて、おかしいじゃないですか(笑)。
先輩に「フジテレビに行ったほうがいいよ」と言われた
現場でやりたい企画が多すぎる。そんな管理職、嫌でしょ(笑)
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