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Adoの歌唱力に「うますぎる」相次ぐ絶賛の声も…最近の日本のヒット曲が“脆い”と感じる理由

日本の昨今のヒット曲が“脆い”理由

 こういうことを言うと、“難しいことができるのは実力がある証拠じゃないか”と言われるかもしれませんが、優れたミュージシャンは難しいことをしているようには見せません。欧米のヒット曲ならば、テイラー・スウィフト、ジャスティン・ビーバー、エド・シーラン、ポスト・マローン。みんな簡単です。少し練習すれば誰もが一応は真似できます。その意味では全然スゴくありません。
 それでも彼らがスターであるのは、手先の器用さや識字的かつ計算的な勉強ではなく、音楽に全人格を込めているからです。だから、曲自体はとことんシンプルでかまわないのです。誰にも真似できないエッセンスがあるので、その音楽は開かれている。  残念ながら、AdoやKing Gnuの音楽には、開かれた感覚を感じませんでした。確かにその技芸は鋭い。長年の研鑽のたまものではある。  しかしながら、その種の“秘技”は一代限りで途絶えてしまうものなのではないか?  必要以上の難度、複雑さの裏側には、ナイーブな生真面目さがあると思うのです。昨今のヒット曲が脆いと感じる大きな理由でもあります。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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