更新日:2024年02月02日 18:35
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「自ら命を絶った作家」と「池袋」。両者の間に存在する“不思議な共通点”

新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。
池袋

moonrise – stock.adobe.com

割腹自殺の直前に開かれていた「三島由紀夫展」

池袋という街を考えるとき、その歴史にちらりと現れてくるのが、日本を代表する文学者・三島由紀夫のことである。三島は、1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にてクーデターを促す演説を行ったのちに割腹自殺を図った。その直前に池袋の東武百貨店で開かれていたのが「三島由紀夫展」だ。『百貨店の展覧会』で「三島由紀夫展」に触れた志賀健一郎は次のように書いている。 三島の“衝撃の死”を報じる当日の朝日夕刊は、「警視庁はこの展覧会を三島の“遺言” と捉え、その頃から決意を固めていたと推定している」と報じている。確かに展覧会の会場構成、カタログなど印刷物の色調やそこに寄せられた短文に自決を予感させる兆候があったという点で遺言という見方もできるかもしれない。「主催者はいらない」と同時に、 三島は「展示物の背景を白黒で統一すること」も強く主張し、また「会場は、銀座松屋で やった横尾忠則展」のような形にしたい、という強い要請が三島さんからあった」という。

意外と接点が多い「三島由紀夫」と「池袋」

「主催者はいらない」というのは、当時の百貨店展覧会が権威付けのために新聞社を建前上の主催者とすることが多かったことに対するアンチテーゼだろう。ここには、主催者 ではなくこの展示が「三島由紀夫」の監修による「三島由紀夫」展である、という彼の思いの強さが表われている。 いわば、三島は自分の人生の最期の場所として、市ヶ谷と共に、池袋という土地をも選んだのである。 加えて、三島は『肉体の学校』という小説の中で、作中で重要な意味を持つゲイバーの位置を池袋に設定していた。その意味合いについては、前回触れた通りである。   以上のように、「三島由紀夫」と「池袋」という2つのキーワードは、一見すると結びつかないようでいて、意外にもその接点が多いことに気が付かされる。
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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