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すべては一台のタクシーから始まった……風が吹いて桶屋が儲かったおっさんの話

子供、タクシーを経て松岡を回避し辿り着いた先は

 さて、タクシーが到着したものの、時に行きたい場所もない。というか、ランニングの途中だ。バリバリにランニングウェアに身を包んでいる。ランニング始めたはいいものの、すぐに挫折してタクシーで帰ろうとしているんじゃないか、そう思われることを危惧した。 「いやね、途中で足を痛めまして」 「たいへんだ、それじゃあ病院ですね!」 「あ、はい」  人の良い運転手だったようで、単に言い訳をしただけなのにそりゃ大変だと、けっこう豪快な運転で病院まで連れて行ってくれたらしい。 「仕方がないからタクシーから降りる時も痛さでうまく降りられない演技をした」  病院に到着したのはいいものの、別に足は痛くない。虚言だからだ。なんとか電車で帰るしかないと思ったのだけど、バリバリのランニングシューズで電車に乗るのはちょっと良くない。挫折したと思われてしまう。山本さんは悩んだ。  地図アプリで調べてみると、けっこう遠くまで来ていた。松戸の近くの病院に連れてきてもらっていたようで、松岡さんの家が近いことが分かった。松岡さんに連絡して迎えに来てもらおうと考えた。けれども、ちょっと松岡さんのエセ関西弁が嫌だったそうだ。イライラするらしい。 「なんでや!」 「そういうとこだ」

松岡には最後までムカついたが……

 仕方なく、松岡さんに連絡するのを諦め、奥さんに電話する。山本さんの奥さんは恐ろしい人で、事情を説明したら怒られると思った。それにいまは夫婦喧嘩の真っ最中で、4か月くらいまともに口をきいていなかったらしい。  おそるおそる事情を説明すると、奥さんは大爆笑し、けっこう上機嫌で迎えに来てくれたらしい。どうやら奥さんは頼られたことが嬉しかったらしく上機嫌で、帰りの車中ではかねてから山本さんが欲しがっていたゴルフクラブのセットを買ってもいいと言われたらしい。  結局、風が吹いたからランニングコースを変え、そこでタクシーを目撃し、小学生のタクシー経験に嫉妬して自分も乗る。ランニングを挫折したと思われたくなくて怪我をしたと嘘をつき、病院に連れて行かれる。帰れなくなって松岡に助けてもらおうと思ったけど、エセ関西弁がイライラするので呼ばず、奥さんを呼ぶと仲直りできて、ゴルフクラブセットまで買うことができた。 「たしかに、そうしようと狙わずに降ってくる幸運は嬉しいな」  僕は山本さんのその言葉を噛みしめていた。いままさにその状態だからだ。別に分からせようとしたわけでも、そう狙っていたわけでもなく、話の流れで「松岡のエセ関西弁にイライラする」と皆で共有でき、本人にも指摘できたのだ。  自らの力で作り出し、勝ち取る幸運は素晴らしいものだ。けれども、桶屋が儲かるように、ひょんなことから舞い降りる幸運もまた、素晴らしいものなのだ。僕らはその気持ちを忘れてはならない。 「なんでや、エセ関西弁ってなんや、ほんまに。かなわんで」  松岡さんのエセ関西弁がまた響き渡った。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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