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【対談】孤高のラッパー般若×SITE「高校時代を過ごした1990年代から 内に秘めたものは変わらない」

あの文化祭で“リアルなHIPHOP”と出会っちゃった(SITE)

SITE 俺は高校1年のとき(※1995年)に、ヨシ君とRUMIちゃんの2MCグループだった“般若”を目撃しています。あの学校の文化祭で、当時の学祭にありがちなターンテーブルを持ち込み、教室をクラブ風にしたイベントに2人が出ていたんです。蛍光灯にセロファンをかぶせてブラックライトに見えるようにしていて、あとソニーが配ってたHIPHOPのフリーペーパー『FAT JAM PRESS』を壁にベタベタ貼ってたのを覚えています。で、しばらく待ってたら、いきなり男女2人組のグループが出てきて、20分くらいずっとフリースタイル。「すごい人たちがいるんだな」と驚いたんですが、誰かはわからない。だけどラップで「チャリで三茶から来た」と言っていて。 般若 それが俺たちだったんだよな。ちなみに延々フリースタイルをやってたのは、単純に曲がなかったから。 SITE 当時のRUMIちゃんは、藤子不二雄Aの『ウルトラB』からとって「UB」と名乗ってましたよね。ライブ後にオープンマイクの時間があって、衝撃を受けた俺はそこで生まれて初めて人前でラップしたんです。フリースタイルではなく持ちネタでしたけど。 般若 俺も人前でラップをするのは、その文化祭が初めてだったはず。そもそも俺はHIPHOPにDJから入ったんだよ。当時はまだ思うようにラップができなくて、DJのほうが楽しいと感じていてね。 SITE あの文化祭には、漢君をはじめ、のちに名を上げる人がたくさんいたんですよね。今や世界的なグラフィティライターになっているWANTOもいて、ランプアイやブッダブランドのリリックをつなぎ合わせたメモを見ながら3〜4人でラップしてたのを覚えてます。 般若 当時って、ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティのカルチャーが、割と近場に存在してたよね。 SITE あと、別の学校の文化祭では……。 (以上) ほかにも90年代HIPHOPトーク、SITE氏・般若氏がシーンで輝き続ける理由など、激アツ対談の続きは、少年イン・ザ・フッド8巻にて、絶賛発売中です! 
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帯コメント&巻末対談はラッパー界のラスボス・般若!

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