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元ジョッキー福永祐一氏が語る「その後の人生」。新米調教師になって変わった金銭感覚

「バランス感覚」が自分の強み

福永祐一氏 ジョッキー時代、特に独身の頃は、「使ったぶんだけ稼げばいい」とばかりに自由にお金を使ってきたが、もともと見栄を張るのは好きではない。  東京は好きだが、絶対に住まないでおこうと思ったのも、身の丈にあった選択がしづらい街だと思えたからだ。滋賀県で生まれ育った自分からすると、東京は経済力も人間力もすごい人たちが集まっているという印象で、そうした人と一緒にいると、勝手に同調圧力のようなものを感じたものだ。  たとえば金銭感覚にしても合わせなければいけないというか、むしろ自ら合わせたくなるような怖さがあって、しんどいと思うこともあった。  そこで本来の身の丈を見失ってしまう人もいるのだろうが、自分は絶対に勘違いしないし、そのあたりのバランス感覚は持っているつもりだ。「執着がないことが自分の強み」と書いたが、この「バランス感覚」というものも、自分のもう一つの強みだと思っている。強引に物事を進めたり、どちらか一方に振りきったりすることもなく、流れに身を委ねつつも変わってこられたのは、おそらくこのバランス感覚のおかげだ。  人づき合いにしてもそう。「お前、うまいことやってるなぁ」と馬主さんから言われるけれど、そんなつもりはまったくなく、もちろん無理をしているわけでもない。自分が好きだと思う人、面白いと思う人と一緒にいるだけなのだが、人からは「うまいことやっている」と見えるとしたら、やはり自分の中で自然と人づき合いのバランスが取れているのかなと思う。

「天性の人たらし」は父親からの遺伝!?

 そういえば昔、(ノーザンファーム代表・吉田勝己氏の妻である)吉田和美さんに、「あなたは本当に天性の人たらしね」と言われたことがある。もちろん、狙ってやっているわけではないし、多くの人に受け入れられたいとか、これっぽっちも思っていないのだが。  そこで思い出したのが、父親のことだ。現役時代の父親のエピソードを母親や周りの人たちからたくさん聞いたが、それらを聞いていて思ったのは、父親はセルフコントロールがうまく、人心掌握術に長けていたのではないかということ。  周りからは「無口な人だ」とよく聞いていたが、母親から見た夫・福永洋一は「おしゃべり」。ということは、家の外では無口なキャラを演じていたのかなと思ったし、人間関係を円滑にするために、わざと麻雀で負けていたという話もある。自分も、波風を立てないような着地点を見つけることは得意だったりするから、そういったバランス感覚はDNAに刻まれているのかもしれない。  あとは、当時の父親の写真はほとんどが笑顔で、どの写真からも人懐っこさが伝わってくる。あの笑顔ですべてが許されるようなタイプだったとしたら、そこも受け継いでいるのかもしれない(笑)。  特に若手は、年中怒られている子がいるような世界で、自分は引退するまで、ほとんど人から怒られたことがなかった。生まれながらの要領の良さは自覚しているところがあり、そのあたりのバランス感覚は、もしかしたら父親譲りなのかもしれない。
父は現役時代に「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一。 96年にデビューし、最多勝利新人騎手賞を受賞。 2005年にシーザリオでオークスとアメリカンオークスを制覇。 11年、 全国リーディングに輝き、JRA史上初の親子での達成となった。18年、日本ダービーをワグネリアンで優勝し、父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇を実現。20年、コントレイルで無敗のクラシック三冠を達成。23年に全盛期での引退、調教師への転身を決断。自身の厩舎を開業してセカンドキャリアをスタートさせる
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