ライフ

知っていた人やモノが、いつしか儚く消える。そうやって僕らは歳を取る

カフェオレ元帥の代わりはいる。そう考えると寂しくなった

 どんなに名を馳せた常連であっても、なんらかの原因で来なくなれば何事もなかったようにそこには別の常連が充当させれる。まるで別メーカーのカフェオレのように、そのまま充当されるだけだ。しょせん、僕らの存在なぞそういうものなのだ。  失意のまま家に帰り、あの匿名掲示板のあの店のスレッドを見る。やはりそこにはカフェオレ元帥の存在などないのだと確認するために。 「今日、喫煙所に変なヤツいなかった?」 「ああ、いたいた、カフェオレもって、爺さん知らないかとかきかれた」 「なんかあいつ怪しかったな」 「なんか最後のほう、ニセ浜崎あゆみと話してなかった?」  あの派手なおばちゃんが店長の愛人と噂のニセ浜崎あゆみだったか。どうりで前店長の左遷の原因とかに詳しいはずだ。

突如、カフェオレを襲名することになった僕

「ニセ浜崎あゆみの知り合いなのあいつ?」 「とりあえず警戒しとこうぜ。あいつのことはカフェオレ前頭5枚目って呼ぼうぜ」  カフェオレを手に聞き込みを行った怪しい人物ということで、偶然にも僕がカフェオレ元帥の名前を受け継いでカフェオレ前頭5枚目と命名されることになってしまった。なんかめちゃくちゃ地位が低くなった感じがするな。せめてカフェオレ大関くらいほしかった。  コンビニに並んだグリコのカフェオレも、クセが強いパチンコ屋の常連も、よほど注意していない限り、いなくなったことに気付くことはない。それはんだかとても寂しく儚いものだ。 「ふふ、カフェオレ前頭5枚目か」  けれども、グリコのカフェオーレはきっと戻ってくる。そしてカフェオレ元帥の名も僕に受け継がれた。とりあえず、グリコのカフェオーレの流通が復活し、購入できるようになったらそれを持ってあの店に通ってみることにしよう。それが僕に課せられた使命のような気がした。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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