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「虎に翼」松山ケンイチが“ラスボス説”の根拠。モデルになった史実の人物は「大掛かりな弾圧」も

 朝ドラとしては異例の熱狂を生んでいるNHK連続テレビ小説『虎に翼』が、間もなく終焉する。ただし、波瀾万丈の物語だから、すんなりとは終わりそうにない。  主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)の前にラスボスが現れるだろう。その人物とは、寅子を明律大学女子部法科時代から支えてきてくれた第5代最高裁長官・桂場等一郞(松山ケンイチ)である。  なぜ、それを予感させるかというと、このドラマはノンフィクション色が濃く、かなりの部分が史実に沿っているからである。桂場のモデルで同じく第5代最高裁長官の石田和外氏は、法曹界を揺るがす騒動を起こした人として知られる。

ノンフィクション性の高い本作

虎に翼

(C)NHK

 このドラマは「原爆裁判」(1955-1963年)や「尊属殺重罰事件」(1968年)を採り入れた。また、118回の寅子が女性法律家たちの集まりで、最高裁人事局の言葉として「女性は資質的に裁判官としての的確に欠ける」と報告したのも事実。1970年、最高裁人事局長が同様の発言を行い、大問題になった。  登場人物たちとモデルの人物像も相当重なる。やはりノンフィクション性を感じさせる。女子教育に力を注いだ明律大法学部の穂高重親教授(小林薫)のモデルは明治大教授として女子部の創設に尽力した穂積重遠氏。ともに民法学の権威で、最高裁判事を経験したところも一致している。  ドラマ内で「家庭裁判所の父」と称されている多岐川幸四郎(滝藤賢一)のモデルは実際に「家庭裁判所の父」と呼ばれていた宇田川潤四郎氏。「家庭裁判所5性格」(1949年)を作成したところなど同じである。 「殿様判事」久藤頼安(沢村一樹)のモデルはやはり「殿様判事」の異名を持っていた内藤頼博氏。旧信州高遠藩主・内藤家の16代当主だった。ドラマでは多岐川と久藤の仲が良いが、宇田川氏と久藤氏の関係も親密だった。雲野六郎弁護士(塚地武雅)にもモデルがいる。原爆裁判で主任弁護人だった岡本尚一氏である。雲野は原爆裁判の口頭弁論が始まる直前の111回に無念の死を遂げたが、岡本氏も口頭弁論が始まる直前に急逝している。細かいところまで事実に沿っている。

桂場のモデルが起こした問題

 桂場のモデルが石田氏であることは当初から法曹界では常識だった。寅子の父親・猪爪直言(岡部たかし)が被告になった「共亜事件」(第18回~25回)で桂場は東京地裁の右陪席(次席)裁判官を務め、判決文を書いたが、その原型の「帝人事件」(1934年)の判決はやはり右陪席の石田氏が書いた。どちらの判決文にも「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし」という印象的な下りがある。  新憲法が施行された1947年、寅子は司法省(現・法務省)に採用を求めた。このときの人事課長は桂場だ。一方、寅子のモデルである三淵嘉子氏が同じ年に採用を願い出た相手も石田氏なのである。  桂場は人事課長を務めた後、最高裁人事局長や東京地裁所長などを務め、エリートコースを驀進する。1969年には最高裁長官になった。これも石田氏と全く一緒なのだ。  最高裁長官になった石田氏はリベラルな考えを持つ裁判官らのグループ「青年法律家協会(青法協)」を弾圧する。これが石田氏の起こした問題である。  弾圧の一例はこうだ。下級裁判所(最高裁以外の裁判所)の裁判官は任期が10年で、ほぼ例外なく再任されるが、青法協の裁判官は多くが再任を認められなかった。裁判官を辞めるしかなかった。  石田氏側は再任時期ではない裁判官たちにも脱会も働きかけた。このため、若手エリート裁判官の集まりである最高裁局付の判事補たちが集団で脱会した。青法協に所属する司法修習生も弾圧された。裁判官への任官を拒否した。  弾圧は大掛かりなもので、法曹界は大揺れになった。青法協が虐げられたからブルーパージと呼ばれた。1970年代前半のことだった。
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ドラマ内での人柄にも“変化”が…
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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