大谷翔平「無安打」の陰で、ロバーツ監督の“迷采配”が大炎上。ドジャースファンから怒り心頭の声も
ナショナル・リーグの優勝決定シリーズ(7回戦制)は、第1戦を9-0で完勝し、勢いそのままに2連勝を狙ったドジャースが、メッツに返り討ちに遭い、3-7で敗戦。1勝1敗のタイで、舞台をニューヨークに移す。
ドジャースにとって最大の誤算だったのは2回までに6点を失ったことだろう。パドレスとの地区シリーズ第4戦から3試合連続で完封勝利を収めていたドジャース投手陣だったが、この日はいきなりフランシスコ・リンドーアに先頭打者アーチを浴びる最悪のスタート。連続無失点が33イニングで途切れると、続く2回表にマウンドに上がったランドン・ナックが5失点と炎上し、メッツに主導権を奪われてしまった。
ドジャース打線も中盤に意地を見せて3点を返したが時すでに遅し。前日に2安打を放ち復調の気配を見せた大谷翔平も、メッツの先発左腕ショーン・マナイアの前に3打数無安打とバットは沈黙した。大谷は、第4打席と第5打席に救援投手から四球を選んだものの、得点にはつながらなかった。
ホームで手痛い黒星を喫したドジャースだが、試合後に待っていたのは、熱狂的なドジャースファンからデーブ・ロバーツ監督に対する数々の疑問の声だ。SNS上では「なんで調子が悪い投手を続投させたんだ」「なぜ試合を諦めたんだ」といった批判的な論調が目立った。
やり玉に挙げられたのは他でもない、2番手でマウンドに上がったナックである。今季がメジャー1年目のナックは、レギュラーシーズンで15試合に投げ、3勝5敗、防御率3.65とまずまずの成績を残し、パドレスとの地区シリーズでも1試合を投げ、1回無失点に抑えていた。
ところが、ポストシーズン2度目の登板となったこの日は制球が定まらず。8番タイロン・テイラーにタイムリーを許すと、その後リンドーアを申告敬遠し、迎えた満塁の場面で2番マーク・ビエントスに痛恨のグランドスラムを浴びてしまった。
この日のドジャースは救援投手のライアン・ブレイシアが先発したように、救援投手をつぎ込んでいく、いわゆる“ブルペンデー”で臨んだ。前日の試合を快勝し、勝ちパターンで登板する救援投手は投げておらず、そろってフレッシュな状態。ロバーツ監督とすれば、必勝リレーでメッツ打線を封じ込める算段だったはずだ。
ただ、貴重な中継ぎ左腕のアレックス・ベシアが脇腹を痛めて離脱中だったことが、ロバーツ監督のプランにゆがみを生じさせたかもしれない。
本来なら1年目のナックは、ある程度試合の勝敗が決した場面で起用するのが理想だったはず。百歩譲って、ナックを1点ビハインドの2回から起用するとしても、安定感を欠く投球を見せた時点で、次の投手につなぐべきだったのではないか。
試合後の記者会見でナックの起用について聞かれたロバーツ監督は、「彼(ナック)には試合序盤にたくさんのアウトを取ってもらう必要があった。それは試合前から考えていたプラン通りだ」と釈明したが、同時に「彼の状態はシャープではなかった」とも説明。それがわかった時点でなぜ代えなかったのかと聞かれたロバーツ監督は、「ある程度のイニングを投げてもらわないといけなかったから」と、ナックの起用は、オープナー後の先発投手に近い役割だったことを示唆した。
ただ、この日登板したナック以外の4投手は7回を2失点で切り抜けており、結果的にナックの起用、そして交代の遅れが致命的となった。そして勝ちパターンで投入する救援投手も起用できず、ロバーツ監督の“迷采配”がより一層際立つ形となった。
ナック「5失点炎上」が致命傷に
「なぜ試合を諦めたんだ」という厳しい声も
ロバーツ監督の“迷采配”が際立ってしまったワケ
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1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。現在は、MLBを中心とした野球記事、および競馬情報サイトにて競馬記事を執筆中。
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