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「タバコの煙が充満するバス」「選手の住所が載っていた選手名鑑」…今では考えられない昭和プロ野球の“常識”

みかん箱の上に立って「度胸をつける練習」

――今ではどの球団もやっていない、当時ならではのトレーニングはありますか? 湯上谷:トレーニングじゃないけど、今考えるとおかしいなと思う声出しはありましたね。センターのフェンス前にみかん箱を置いて、その上に乗って大声を出す。 ――なにが目的なんですか? 湯上谷:大観衆の前で野球をするから、度胸をつけるという意味だと思います。ただ、それは建前で、先輩やコーチからの嫌がらせみたいなものでしょうけどね。 ――どんな内容を大声で叫ぶんですか? 湯上谷:中百舌鳥(大阪府堺市)にファームの球場があるときは、ライトスタンドの向こう側に団地が見えていたんですが、その団地に向かって叫ばされていました。「団地のみなさ〜ん! 今日はいいお天気ですね〜! 洗濯物もよく乾くでしょう〜!」とか(笑)。 ――今なら普通に騒音問題になりますね(笑)。一人一回やらされるんですか? 湯上谷:いえ、ホームベースのところにいるコーチが手で◯(まる)のサインを出したら終わりです。声自体は全部聞こえてると思うんですが、面白いかどうかが基準だったと思います。 ――ということは、叫ぶ内容も自分で考えるんですね。 湯上谷:そうです。早く終わるために、大声でコーチを褒めるセリフにする選手や、フェンスによじ登って「ミーンミンミンミーン!!」と蝉のマネをする選手もいましたね(笑)。

通勤電車に揺られるプロ野球選手たち

――食事面などについて、今では球団や個人に管理栄養士などがいますね。試合前などは、ビュッフェ形式で食事が用意されている様子もテレビなどで見たことがあります。 湯上谷:南海の頃は、食堂の食券をもらっていました。1試合に500円分(笑)。もちろん、それでは足りないので600~700円のメニューを頼むんですが、超えた分は給料から天引きです。せこいですよね(笑)。 ――選手専用の食堂があったんですか? 湯上谷:いえ、お客さんも入れる食堂ですよ。だから、たまにお客さんに声をかけられることもありました。 ――今では選手とファンはきっちり分けられていますね。 湯上谷:一般の方と一緒にといえば、2軍時代の移動もそうで、普通に電車移動でしたよ。2軍戦はデイゲームばかりなので、朝の通勤ラッシュの満員電車に乗ります。しかも、今のように用具車はないので、バット・グローブ・ユニフォーム・着替え・スパイクなど大荷物一式を抱えて。それで満員電車に乗ろうとすると、サラリーマンの方に本当に嫌な顔をされますからね。そうやって球場に行っていました。僕は野手なのでまだいい方で、キャッチャーは防具まであるので、もっと凄い荷物なので大変ですよね。
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ベンチ裏の通路で着替えなければならず…
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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