更新日:2025年01月14日 14:55
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オフィスの窓から飛び降りて、障がいを負った33歳女性が語った「壮絶半生」と「今、伝えたいこと」

涼音さんを支え続けた“人形”の存在

遠山涼音さんが制作した人形② そんな胸中にあった涼音さんを救ったのは、彼女の人生にずっと根付いてきた人形だった。 「幼少期から人形のコレクションをしてたんです。とくにかわいいトイ系が大好きで、体が異様に小さいブライス人形なんかも好み。美術系の高校に身を置いてからは、アンティーク系の人形をモチーフにした油絵もよく書いていました。  美大もグラドルの仕事も辞めた20歳のころに、『せっかく自由な時間ができたんだから、ずっと好きだった人形をつくってみたい』と思い立ったんです。有名な人形作家の吉田良さんが出していた技法書を買って、そのまま独学で人形づくりを学び始めました」  就職後、飛び降りにいたるまでも、涼音さんは趣味での人形制作を続け、SNSへの作品投稿などもはじめていた。 「だからこそ、全身が動かない可能性があると言われたときは、『もう人形がつくれないんじゃないか』という意味で絶望したんです。  だけど、お医者さんが2カ月間に及ぶ治療を施してくれた末に、足首の関節は動かないけど、手はちゃんと動かせるようになった。『やった! また人形をつくれる!』って気持ちが1番にありましたね」

杖を歩く生活になっても「人形制作に支障はない」

遠山涼音さんが制作した人形③ その後、4カ月に及ぶリハビリ生活を送ったが、その施設では涼音さんの制作意欲をさらに増す恩人が現れたという。 「担当の理学療法士さんが、私の作品の写真をみて、『すごくいい!』って絶賛してくれたんです。 『手に職なんやから伸ばすべきだよ。いま休んでちゃもったいない』って、消灯時間の9時を過ぎても、遅くまで作業できるように上の人に取り計らってくれて。こんなに応援してくれる人がそばにいてくれたことは、本当にありがたかった」  リハビリ施設を出た時点では、左足の関節はまったく動かず、装具で90度にとめる必要があった。右足は力が入りづらく、杖をついて歩く生活に。全回復とは言えそうもないが、涼音さんにとってはたいした痛手ではなかったという。
身体障がい者手帳

肢体不自由の障害は残り、身体障がい者手帳も所持している

「飛び降りを機に会社を辞めれたし、もう人形制作に打ち込もうと決めていたので。実際、杖をつく程度なら、制作にはたいした支障はありませんでした。  それに、飛び降りを経験して『自由にやろう』という気持ちになれたからか、誰かが可愛いと思うものではなく、自分の感情に任せてつくりたいものをつくれるようになってきました。  それを見た人がどう解釈するのかは本当に自由だと思っているので、感想をもらえるのがすごく嬉しいです。展示会などで私の作品を知ってもらって、そこからさらに人形業界に注目が集まっていくことが、いまは何よりの歓びです」
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飛び降りなかったら死んでいたかもしれない
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