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B’zが紅白で“一人勝ち”したワケ。近年の歌番組には「欠けていたもの」が視聴者を魅了

星野源、藤井風らとは異なる魅力

 これを、他の出場アーティスト、たとえば星野源、藤井風やMISIAらと比べるとわかりやすいでしょう。B’zをダサいとするならば、彼らの音楽性は全くダサくありません。MISIAは非の打ち所のない歌と演奏で平和を祈念し、星野源や藤井風は洗練されたハーモニーと神の視点から人間社会の真理を説きました。視聴者は彼らのパフォーマンスに納得、理解をし、深い共感を覚えたことでしょう。  しかしながら、それはワケがわからないけど、なんだか体が動いてしまうという、音楽の持つ本来的な力ではありません。“ウルトラソウルッ!!”のあとに、“ヘイ!”だか“ハイ!”だかと叫んでしまう。そんな有無を言わせぬ興奮が、星野源、藤井風やMISIAらにはないのです。  特に深い意味はないけれども、とりあえず形として、儀式としてやることで、場が収まるもの。それこそが音楽の持つ力だとすれば、彼らの表現は解釈を必要とする局面が多すぎるのです。それは、考察と称される鑑賞に偏った現代の病を象徴しているとも言えるでしょう。

祭りや宴の“めでたさ”と“華”を備えていたB’z

 だから、紅白でのB’z一人勝ち現象は痛快だったのです。祭りや宴のめでたさと華を備えていたのは、彼らだけでした。近年の歌番組に物足りなさを覚えていた視聴者のニーズにバッチリとハマるパフォーマンスを一発回答してくれたのです。  居合抜きのようなダサさ。  B’zの凄みを感じた紅白でした。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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