更新日:2025年01月21日 19:02
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増殖するタワマンで駅の利用者数が激変し、鉄道会社のビジネスモデルは根底から崩壊…JR京葉線が“通勤快速全廃”した事情を読み解く

マイホーム神話が根強かったからこそ…

JRは単なる快速ではなく新快速・特別快速・通勤快速といった具合に、さまざまな種類の快速を運行しました。京葉線は東京湾の東側に形成された京葉臨海工業地帯の物資を輸送する貨物線として構想されました。線路が東京方面へ延びていくと、沿線が少しずつ宅地化されていきます。 そうした旅客需要が増えたことを契機に、京葉線は昭和61(1986)年に一部の区間で旅客運転を開始します。これが歳月とともに区間を延長して、平成2(1990)年に東京駅までが旅客化されたのです。 東京駅─蘇我駅間の京葉線が全通したのと同時に、朝夕に運行される通勤快速が誕生。通勤快速は誕生した当初から内房線・外房線とも直通するダイヤが組まれていました。 平成2年は厳密にはバブル景気が崩壊した直後にあたりますが、当時の日本はまだバブルの余韻を引きずっていました。そのため、東京近郊の不動産価格は高止まりしたままで、一般のサラリーマンが東京23区内にマイホームを構えることは非現実的だったのです。このタイミングで登場した京葉線の通勤快速は、内房線・外房線を東京のベッドタウン化させる大きな力を持っていました。 内房線・外房線から東京駅まで通勤するのは大変ですが、当時は一戸建てというマイホーム神話は根強く、一般のサラリーマン世帯でも内房線・外房線なら一戸建てが買える価格だったのです。つまり、京葉線の通勤快速はマイホームを持ちたいという庶民の夢を後押しする列車でした。

長距離通勤者は「運賃をたくさん払ってくれる上客」

鉄道がつなぐ昭和100年史

葛西臨海公園駅は駅前から広大な公園が広がる(撮影:小川裕夫)

こうした庶民の夢を叶えてくれるような京葉線の通勤快速は、マイホームを持ちたいと考える庶民に支持されます。また、ベッドタウン化によって人口増を期待した内房線・外房線の沿線自治体も京葉線の通勤快速は歓迎されました。 京葉線を運行するJR東日本も京葉線に力を入れていきます。平成7(1995)年には、葛西臨海公園駅と海浜幕張駅の2駅に追越設備を新設。この追越設備を新設したことによって、データイムに運行される快速の所要時間を2分、通勤快速は7分も短縮しました。さらに朝の時間帯に内房線・外房線から京葉線へと直通する通勤快速を1本増発しています。 追越設備の新設は、翌年にも夜間帯に快速を2本増発するという効果を発揮。平成16(2004)年には外房線から京葉線へと直通する快速を朝に1本増発。平成18(2006)年にも快速を増発しています。 JRにとっても遠方の利用者は運賃をたくさん払ってくれる上客です。そうした長距離通勤者たちに支えられて、運賃収入を増やしていきます。
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各県に広がっていった「通勤圏の拡大戦略」
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フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある Twitter:@ogawahiro

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