知的障害の妹を持つ“きょうだい児”の悩み「姉の私は“いい子でいなきゃ”と思い続けてた」
「親には “我慢して偉いね” と自分のしんどさを認めて欲しかったです」と語るのは、きょうだい児(病気や障害のある兄弟姉妹がいる子ども)の七宮絢音さん(25歳)だ。
7歳下の末の妹には、中度の知的障害とてんかん発作があり、親は妹が発作を起こすと学校に迎えに行くなど、かかりきりだった。きょうだい児は、親の愛情不足やヤングケアラーとしての責任感やストレスを抱えたり、自分の欲求や夢を犠牲にしたりしがちだ。
彼女は今、コーチングを通じ、同じような境遇だった人や親子関係に問題を抱える人の相談に乗っている。七宮さんの話を聞いた。
七宮さんは、長野県出身で、3姉妹の長女として生まれた。
「4歳下の妹が産まれたときは、お姉ちゃんになれて嬉しいと思いました」
末の妹が産まれたのは、彼女が小学校に入学した7歳の時だった。中間子の時も、末っ子の時も、自宅出産だった。
妹は、出産時低血糖で、両親はすぐに病院に行った。妹には障害があることが分かり、そのまま入院した。母は毎日、付き添いで忙しく、七宮さんと妹は、祖父母宅に預けられることが増えた。
父は出張が多く、両親は一緒にいても、末の妹の治療方針や教育方針を巡って、喧嘩が絶えなくなった。母は一時期、新興宗教にハマったり高価な水を買ったりし、信仰や民間療法に救いを求めたこともある。
妹は中・高校は養護学校に進学したが、小学校までは、同じ学校の支援学級に在籍していた。同級生たちは妹を「ガイジ!(障害児の蔑称)」とからかうこともあった。
「妹を嫌だと思う気持ちはなかったです。今でも、5~6歳の知能のままの妹がいる感じです。姉の私が、成績が悪かったり、素行が悪かったりしたら、妹がもっと悪く言われるんじゃないかといつも “いい子でいなきゃ” と思っていました。中学校までは自分でそう思い込んでいました」
そんな時も、母は、妹が発作を起こすたびに、学校に迎えに行く。孤独感が募った。その生活も自身と祖父母の病気で、小学校6年生の時に変わった。
末の妹が産まれ生活が変わった
「ガイジ!」とからかわれ傷ついた小学校時代
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1
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