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「初めての相手は父親」16歳で“実父の子”を妊娠、流産… 7人の子を持つ母となった性虐待サバイバーの告白

「私がX(旧Twitter)で実父からの性虐待を告発すると、多くの女性から『私もやられた』というコメントがつきました。昔は、表立って言えるような時代ではなかった。時代は変化しましたね」 そう語るのは、埼玉県ふじみ野市に住む、一般社団法人PCASA JAPAN 代表の塚原たえさん(53歳)だ。現在は、17歳の時に入籍した夫との間に、7人の子に恵まれ、19人の孫がいる。初潮の頃に始まった、実父からの性虐待を週刊誌で実名告発してから約1年半。今、彼女が思うことを聞いた。

塚原たえさん(53歳)

「和寛は死んでも構わない。たえちゃんはヤダよ」弟の自死に無関心な鬼のような父

塚原さんは2023年11月に『文春オンライン』で、実父からの性虐待を実名告発した。きっかけは、2021年10月末に、20年関係を断っていた実父から、遺産相続の意思確認の手紙がきたことだった。 「父に住所がバレて、『子どもの相続意思を確認したく連絡をとりたい。人でなしの親のせいで困窮し、皆、気が狂っていました。皆、深い傷を負いました。皆、よく生きてくれました』と手紙が来ました。だいぶ経ってから、遺産はいらないと電話をしました。その時に、やはり幼少期から、父からの性虐待に遭っていた弟の和寛の自死を伝えると、『和寛は死んでも構わない。たえちゃんはヤダよ』と言われたことで、“この人は鬼だ” と涙が止まりませんでした」 塚原さんは3人姉弟の長女として産まれるが、11ヶ月下の弟も、父に幼少期から肛門性交されるなどの性虐待に遭っており、四国の山奥で練炭自殺した。 「弟の顔を思い浮かべても、苦しんでいる顔しか思い出せません。男の子だった彼は、父からの性虐待を誰にも言えず、29歳で自死しました。その無念が私に乗り移った気がし、夫がいなければ後を追っていたかもしれません。生きていれば、私のように戦えたかもしれないと思うと、涙がこぼれます」 塚原さんが父を実名告発したのは、和寛さんのためでもある。

小6で初潮がきた日に、父にレイプされる

当時を不安げに振り返る塚原さん

塚原さんは、幼少期から持続的に両親らの虐待に遭い続け、重度の複雑性PTSDを患い、記憶が飛び飛びだ。小学校2~3年生の頃から、弟と共に、ネグレクトや風呂に首を突っ込まれ窒息されかけるなどの虐待に遭い「このまま死ねたら」と思っていたという。 母はスーパーで彼女を忘れて帰ってしまうような、自分のことしか考えていない女性だった。 両親は、塚原さんが小学校3年生の時に、児童扶養手当受給目当てで離婚した。父は運送会社のトラック運転手で、母は父からのDVもあり、家出を繰り返し男の元を転々としていた。 父から初めて性虐待を受けたのは、小3の時だった。父は、彼女の膣に異物を入れ、弄んだ。 「性的な知識がなく、何をされているか分かりませんでした。痛い、気持ち悪いと思いました」 小6で初潮がきた日から、父によるレイプが始まり、母は助けるどころか笑うだけだった。それ以降、母の有無に関わらず性虐待が続いた。16歳の時には、妹と並べられ、同時にレイプされた。 「私は、それまで自分さえ我慢すれば弟や妹を守れると耐えていましたが、その希望も崩れました」 それが、セックスだと分かったのは、中学校2年の時だった。
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「私の初めての相手は父親だ」と知り決壊した心
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立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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