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「人生詰んだ!」34歳で介護離職、12年後に見つけた新しい人生。岩手から東京への“遠距離介護”で見えた希望

厚生労働省の2023年の雇用動向調査によると、「介護・看護」を理由とする離職者は、約7.3万人で、2000(平成12)年と比べて約2倍の人数となっている(厚生労働省-令和5年雇用動向調査結果の概況-)。誰もが他人事ではとらえられない親の介護問題をどう乗り切ればいいのか。遠距離介護歴12年で、2025年1月27日には、『老いた親の様子に「アレ?」と思ったら』を上梓した工藤広伸氏(52歳)に話を聞いた。
工藤広伸

工藤広伸氏(52歳)

「人生詰んだ!」と絶望した34歳での介護離職

工藤氏は、岩手県盛岡市で3人兄妹の二男として育った。大学進学で上京し、卒業後は物販業界でキャリアを積んだ。3社目でマネジャーに昇進した34歳、キャリアの絶頂期に実家の父が脳梗塞で倒れる。別居中の両親は父が母の介護を拒否し、妹は結婚して子育て中だった。 「“誰が看るんだよ、俺しかいないじゃん”“人生詰んだ!”と頭が真っ白になりました。周りはキャリアを順調に築く同僚ばかり。理由を隠して会社を辞めた時は、恥ずかしさと焦りで押し潰されそうでした」 社会のレールから外れる恐怖に苛まれたが、父は発症から病院搬送までが早く、1.5年で介護は終わった。「あの時、父の回復が早かったのは不幸中の幸いでした」と振り返る。

35歳で再就職、40歳で再び訪れたダブル介護

フリーランスへの憧れを抱きつつ、35歳で4社目に再就職した工藤氏は、副業で転職ブログを始めた。しかし40歳の時、新たな試練が訪れる。89歳の祖母が子宮頸がんで入院し、同時期に69歳の母に異変が。 「1年前から物忘れが目立っていた母が、祖母の入院書類を見てぼーっとしていたんです。認知症の初期症状でした」 祖母と母のダブル介護が始まった。 「上司に誘われて入った会社でしたが、正直辞めたくてたまらなかった。失業手当も受けず退職を決めた時、すがすがしさすら感じました。当時、ブログ収入は年150万円ほど。勢いで、介護ブログ『40歳からの遠距離介護』を始めました。男性で2度も介護離職した経験は、きっと誰かの役に立つと思ったんです」 だが、ブログは収入ゼロのまま続き、「貯金が減る音が聞こえるような日々」は地獄だったと語る。
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2年半後の出版が転機に
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立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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