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知的障害の妹を持つ“きょうだい児”の悩み「姉の私は“いい子でいなきゃ”と思い続けてた」

脊椎側弯症で自分も手術するが……

「自分自身が脊椎側彎症を発症し、1歳下の従妹が白血病になりました。祖父が脳梗塞で倒れ、祖父母宅に行くことができなくなりました。側彎症の治療のために、分厚いコルセットをしました。服の上からでも、コルセットを装着しているのは分かるので、ショックでした」 脊椎側弯症になると、脇の下からお尻まで覆う大きなコルセットを装着して、側弯の進行を防ぎ、矯正する治療をするのが一般的だ。思春期に差し掛かっていた彼女にとり、コンプレックスになった。 中学校1年生の時に、側彎症を治す手術をするが、術後1年は、背中を曲げるような運動は禁止された。3年続けていたクラッシックバレエも、辞めることになる。 「手術後の傷跡にも悩みました。バレエは、妹のことで家庭が大変だったので、小学校3年生の時に、やっと念願が叶い習い始めた習い事でした」 命があっただけよかったという母に、彼女は反抗し続けた。 「自分より大変な人が家庭にはいるから、“自分もつらい” と言えなかった。親には習い事を辞めることになったことを “我慢して偉いね” と認めて欲しかった。学校では、入院までして大変だねと言ってもらえました。学校と家庭での自分像のギャップに悩まされました」と七宮さんは振り返る。 そんな環境が嫌で、大学では理解者を求めて、上京することにした。

上京して広がった視野

閉鎖的だった長野から、東京に出てきて、視野が広がった。色々な人と関わるのが楽しかったという。 「親と離れたことで、親の気持ちも理解できるようになりました。当時は、“大変だとは思うけど、子どもの人生に責任を取るのが親でしょ” という気持ちが強かったです。今は、両親も大変だったと思うようになりました。離れたことでありがたみも感じました。周囲からは “長女だし家のことは頼むよ” と言われていましたが、母は逆に、私に我慢させたくないと思っている気持ちも伝わってきました。だから、東京にも来られたんだと、客観的に見られました」 友人と、家族のことで一歩踏みこんだ話をしたら、“実は自分も……” と打ち明けてくれるような経験もしたという。そういった経験から、就職後に、コーチングのスクールにも通う。 「同じように悩んでいる人の相談に乗ろうと思いました。まだ始めて半年くらいですが、アドバイスをするのではなく、自分の考えを整理する手助けをしたいです。そして、自分がなりたいような姿になれるよう、一緒に考えていきたいです」 実家と物理的に離れたことで、自分で自分を満たせるようになっていった。
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家族は選べないが自立後の人生は選べる
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ライター・原作者・あいである広場編集長。立教大学経済学部経営学科卒。「認知症」「介護虐待」「障害者支援」「マイノリティ問題」など、多くの人が見ないようにする社会課題を中心に取材する。文春オンライン・週刊プレイボーイ・LIFULL介護などで連載・寄稿中。『認知症が見る世界』(竹書房・2023年)原作者

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七宮絢音さん