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YouTuberヒカルのパートナーでYouTube業界の仕掛け人「1円を大切にするビジネスの基本は食品業界から学んだ」

 テレビやラジオといったオールドメディアに代わり、動画メディアの勢いが止まらない。特にYouTubeは多くの人が気軽に配信できるようになり、YouTubeチャンネル数も増加。生き残りをかけた激戦が続くなか、YouTubeでの発信力も活用しながら、事業の成功を収めている時代の革命家たちに迫る。  インタビュアーは、出版プロデューサーでビジネス書作家の水野俊哉さん。水野さんは出版プロデューサーとして数々のヒット作を世に送り出し、自らも作家として多くの書籍を出版している。  今回は、YouTuberヒカルのビジネスパートナーとして知られ、複数事業を展開する入江巨之さんが登場する。アパレルやコスメなどヒカルさんのブランド「ReZARD」を共同で立ち上げたほか、数々のビジネスを成功に導いてきた。ヒカルさんのビジネスパートナーという印象が強いが、彼はそれ以前にもすでにデジタルマーケティングの世界で活躍してきた過去を持つ。   登録者100万人を超える錚々たるYouTuberをプロデュースしてきたYouTube業界の仕掛け人でもある。最近では起業リアリティーショー「Nontitle」を手がけたことでも知られる。現在は、株式会社サムライパートナーズの代表取締役CEOであり、YouTube制作やイベント事業など幅広い事業で多くの実績を残している入江さんに、これまでの成功の秘訣とヒカルさんとの出会い、そして今後の展望についてお伝えする。

◆剣道一筋の高校時代から、ビジネスの世界へ

水野:ヒカルさんのビジネスパートナーとして有名な入江さんですが、一方でその実績を公表されていないので、今日のインタビューを楽しみにしていました。 入江:たしかに、そんなに取材って受けたことはないかもしれませんね。今日はよろしくお願いします。 水野:現在39歳ですが、10代の頃からビジネスの世界に足を踏み入れていたと伺いました。10代の頃はどんな学生だったのですか? 入江:高校時代はとにかく剣道漬けの毎日を送っていました。名門・長崎南山高校が母校でして、インターハイにも出場し、団体で全国3位になったこともあります。その分、練習が厳しいことでも有名だったのですが、今にして思えば、この経験が精神力の基礎になっていると思いますね。 水野:当時の写真を見るとたしかに「剣士」という顔つきをされていますもんね。高校卒業後はどのような道に進まれたのですか。 入江:父親が建築業でデベロッパーをしていたので、周りの人からは「○○建設のお坊ちゃん」と見られていたと思います。幼い頃からそうした環境だったので、父と同じ道を選ぶのではなく、「自分で何かを成し遂げたい」と思っていましたね。  吉田松陰の「夢なき者に成功なし」ってあるじゃないですか。自分の人生を本気で楽しもうと思って、あえて苦労の道を選びました。 水野:その選択にすでに経営者としての姿勢を感じます。最初はどんなビジネスからスタートしたのですか? 入江:ありがとうございます。最初はインターネット通販からスタートして、20歳前後で数億円の利益を上げることができました。10代のときに自分の銀行口座には数億円があるような状態でしたね。 水野:それは、一般的な10代とはずいぶんかけ離れていますね。すでに成功を収められているというか。 入江:ええ、そうなのですが、その後には大きな挫折も経験しました。父親の影響もあって一度は建築業を経験してみようと見よう見まねでチャレンジしたのですが、これがうまくいかなったんです。建築業は合理性や効率性というよりも、「職人さんとの人間関係ありき」の世界なんですね。若かった私は、そこがわかっていなかった。 水野:そうだったんですね。ほかにビジネス展開はされたのですか? 入江:はい、ちょうど「太陽光発電事業」に注目が集まっているときに、太陽光事業を行っている会社から「会社を買ってくれませんか」というお話をいただいたのです。  私よりも年上で、ビジネスの経験もある。会社としてもしっかり基盤があると判断し買収したのですが、実は会社の価格は適正じゃなかったんですね。約8億円の損失をかぶることになってしまいました。21歳のときです。 水野:21歳でその経験は、精神的にも追い込まれたんじゃないですか。 入江:そうですね。しかも悪いことは重なるもので、太陽光の会社を廃業する手続きをすると当時に、税務調査で指摘されて、多額の税金を支払わなければならないこともありました。 水野:大変でしたね……。 入江:何よりつらかったのは自分の経験値のなさで、頼りにしていた社員まですべて手放す判断をしなければならなかったことです。最後の最後まで、経理業務を担当してくれた子にも申し訳ないなって気持ちでいっぱいでした。

◆「自分の事業はやらない」とコンサルティングに集中することを決意

水野:20代前半で挫折を経験されました。そこからどのように立て直していったのでしょうか? 入江:自分には「儲ける力」があることはわかった。だけど、経理や財務、組織育成などさまざまな経験を積まないと、また同じ失敗を繰り返してしまう。なので、「目先の判断で金儲けをするのはやめよう」と思い、「30歳までは自分の事業を立ち上げない」ことを決めました。 水野:それも大きな決断でしたね。 入江:はい。その代わり、さまざまな企業のコンサルティングを通じて、「事業とは何か」「会社とはどうあるべきか」という知見と経験をためていきました。100社くらいのコンサルをやっていましたね。例えば食品業界では、ペヤングとのプロモーション企画などにも携わらせてもらいました。 水野:食品業界のコンサルティングをされていたなんて、驚きました。どんなことが印象に残っていますか? 入江:食品って商売の根源が詰まっているんですよ。安心安全なものを食べてもらわないと、そもそも食品として成立しないし、それによって人を傷つけることにもなる。いわゆる「クオリティコントロール」が非常に重要なんですよね。  そのクオリティをどうやって守っていくか、あらゆる方面から検討するのは、自分にとって大きな学びになりました。同時に、安全性と安心のうえにビジネスを構築しなければならない、ということも強く感じましたね。 水野:まさに、実体験でビジネス感覚を養われていったのですね。 入江:そうですね。また、「1円の利益の重要性」も食品業界から学びました。食品は基本的に薄利多売で、いかに大量に売っていくかが大切なんですが、当時の私は価格を1円単位まで重要視していなかったんです。そのためひどく叱られました。「入江さん、食品にとって1円の価値って大きいんだよ。その1円が積み重なることによって、利益率が大きく変わってくるんだよ」と。  どうやってコストを下げ、なるべく高く買ってもらえるか?という、ビジネスにおいてシンプルだけれど一番重要なことをここで学べたと思っています。
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運命を変えた、ヒカルとの出会い
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1973年生まれ。作家。実業家。投資家。サンライズパブリッシング株式会社プロデューサー。経営者を成功に導く「成功請負人」。富裕層のコンサルタントも行う。著書も多数。『幸福の商社、不幸のデパート』『「成功」のトリセツ』『富豪作家 貧乏作家 ビジネス書作家にお金が集まる仕組み』などがある。

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