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「25歳で武道館を借りてディスコに」「素人なのに“帯のラジオ番組”DJに」乱一世74歳の“波乱に満ちた”半生

芸名の由来と秋元康から言われた言葉

秋元康からの言葉ーー「乱一世」という芸名はどういう経緯でついたのですか。 乱:僕、本名が「石瀬」って言うんです。で、子どもの頃から「いっせい」って呼ばれていて。 そしたら上野さんが「『いっせい』は残そう」と。ちょうど『ルパン三世』も流行っていたし、「ジョージ一世」とか「ルイ一世」とか、それこそ「三遊亭一世」とかいろいろな候補が挙がって。 最終的に「波乱一世」に落ち着いたところで、飲みに行くかってなったとき、ディレクターの一人が「すみません、この後、歯を抜かないといけなくて」って言い出して。 それを聞いた上野さんが「そんなもの痛くなる前に抜いとくんだよ!歯なんて!……歯を抜く?よし『波』取るか。乱一世だ!」って。実話です。 ーー最初に話された事務所の件といい、どんな流れもいったん受け入れる乱さんの受容力がすごいです。 乱:たぶん、昔から何に対しても俯瞰で見て面白がる性格なんでしょうね。 ちなみに『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』の台本を書いていたのが、当時まだ学生だった秋元康なんですけど、何年か経って一緒に仕事をしたとき「一世さんはプロデューサーの目を持ちすぎだ。もっと自分が前に出たほうがいい」と言われて。 こないだ会ったときにその話をしたら「そんな生意気なこと言いましたか」って彼は言ってましたけど、僕は的を得ていると思いましたね。

二つ返事で引き受けたナレーションの仕事で賞を取った

ーーそこからどうやって『トゥナイト』につながっていくんですか? 乱:『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のレギュラー出演が終わったとき、上野さんから「おまえもそろそろタレントやっていくならフリーだとマズいから」と、大橋巨泉事務所を紹介されたんです。 タレントになんかなるつもりなかったし、「あの巨泉さんですか?俺が最も嫌いなタイプの人間ですよ?」って(笑)。 結局、事務所に入ったんですが、当時はイベントが一年を通じて花盛りで、晴海で開催されたオーディオフェアではクラリオンという会社のブースでトークをしたりしてました。 ーークラリオンガールは烏丸せつこや蓮舫などを輩出して一世を風靡しましたよね。 乱:そこの課長さんに「君、ナレーションできるでしょ?」って聞かれ、こういう性格なものだから「できますできます」と二つ返事で引き受けて。 「カラコルム山脈にちょんまげを結った日本人のルーツがいた」というドキュメンタリー番組のナレーションを生まれて初めてやったら、その番組がフジテレビの社内賞を取って。
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与えられた仕事を投げ出す気力がなかっただけ
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株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Xアカウント:@Yuichitter

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