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「映画という概念はなくならない」染谷将太が見据える未来。「それが決して映画館でかかっていなくても」

吉祥寺バウスシアターの思い出

バウスシアターの思い出

(C) 本田プロモーションBAUS / boid

――青山監督が書かれていたのが「吉祥寺バウスシアター」というのも、なるほどと納得です。オファーがあったとき「自分に近くて不安を感じた」とのことですが、「吉祥寺バウスシアター」はそもそも個人の思いの集合体のような劇場でした。 染谷:僕は、作品でいうと自分が作った自主映画をかけていただいたことがすごく思い出に残っていますね。 10代のころにさかのぼると、毎回、爆音映画祭のあとに屋上で打ち上げのバーベキューをするんです。映画祭とは関係ない人もまざってたりして。映画をやっている人から、音楽をやっている人、これから映画を志そうとしている人、本当にいろんな人が一堂に会して、面白い場でした。 ――吉祥寺バウスシアターは、本当にユニークな劇場でした。 染谷:いろんな文化が入り混じっていたんだなと。10代のときにその中にいたときには、「とにかく面白い大人たちがいっぱいいるな」ということだけで、そのすごさに気づききれていなかったのですが、本当に刺激的な場所だったんだなと思います。

コロナ禍で仕事がストップしたとき、エンタメに救われた

エンタメに救われた

(C) 本田プロモーションBAUS / boid

――本作では3代にわたる家族の物語が描かれていきます。その中では、戦争によって映画館が営業できない時期もあります。やりたいことを見つけて仕事にしたのに、できなくなってしまう。 染谷:もし自分が役者をできなくなったら、殺されたも同然という気持ちになると思います。 ――コロナ禍の際にストップする経験はされたと思います。 染谷:ちょうどドラマの途中で止まりました。なので「終わらせちゃいけないものがある」という中にいました。だから逆にすがる気持ちだったと思います。そこに戻れるという希望を持って過ごしていたと思いますね。 それに、その間、配信の映画やドラマをすごく見て、自分が携わっているエンタメという仕事によって、自分が救われたので、また世の中が動き出す未来が来たときに、もっと頑張れる気がするという気持ちが強かった気がします。
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映画という概念はなくならない
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ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi

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