“魚を売る”から“食文化を売る”へ【三陸漁師たちの新たな挑戦】
―[「週刊チキーーダ!」番外編]―
去る5月22・23日、エコノミストの飯田泰之氏×評論家・荻上チキ氏の2人は、本誌『週刊SPA!』連載「週刊チキーーダ!」の取材で、陸前高田市と大船渡市を訪れた。2人揃っての被災地入りは、昨年10月以来。あの日から1年3か月が過ぎ、訪れた先々で聞かれたのは、「これからが勝負」という決意。それと同時に、新たなビジネスの胎動を知ることにもなった。本誌では紹介しきれなかった取材の模様を、“番外編”として日刊SPA!で紹介していく。
【1】船の支援を受け、追い詰められる漁師たち!?
⇒https://nikkan-spa.jp/228513
【2】“外”の世界を見て知った、“陸”の仕事の大切さ
⇒https://nikkan-spa.jp/228665
【3】“魚を売る”産業から、“食文化を売る”というビジネスモデルへ
漁業者対象の公的支援が始まり、船の支援を受けたものの、逆に追い詰められることになった三陸の漁師たち。
そんな漁師たちを立ち上がらせようと、三陸鮮魚の直売サイト「三陸とれたて市場」代表・八木健一郎さんは、自らのつてを使い、三陸の漁師たちと静岡県由比漁港に研修に向かった。
由比の漁業者と交流するうちに漁師たちの意識が変わり、自分達の事は自分達で何とかする“生産組合”という形でのチーム化を決める。
懸案だった漁具の問題は、ヤマト福祉財団「東日本大震災 生活・産業基盤復興再生募金」の第5期に応募。これまでの活動と漁業創生に対する熱意が評価され、漁具資材の生産回復が一気に出来るほどの支援に結びついた。
「ヤマト福祉財団に提出した事業計画は、完成させるまでそれこそ殴り合いのケンカもして、200回以上は書き直しました。そこにあるのは、漁業者を救うものではなく、“漁業のあり方をどうつくり、地域をどうしていくのか”というデザインを期待されいただいた予算。これまでも漁師仲間はいましたが、これからは、消費者と支援者が共にいる。その自覚が芽生えてきて、漁師は頼もしい戦力になった」(八木さん)
◆浜のおばちゃんたちの自立、“おつまみチーム”
未来をおもしろい形で切り開いていこう、そんな下絵が具体的に形になり始めた。漁師の“海チーム”の準備ができ上がる一方で、陸では別の戦力の動きが立ち上がろうとしていた。
漁師の妻たち、浜のおばちゃんたちの「おつまみ研究所」の設立だ。
この「おつまみ研究所」は、そもそも「浜のミサンガ『環』大船渡チーム」の女性たちによるもの。
「浜のミサンガ『環』」というのは、震災前、水揚げの手伝いやカキやホタテの殻剥きといった浜の仕事をしてきた女性たちが、津波被害を免れた漁師の網でミサンガを製作し、インターネット等で販売するというプロジェクト。経費を除いた分が、彼女たちの収入となる、自立に向けた支援のひとつである。
岩手県の山田・大槌から宮城県の石巻まで、そのプロジェクトは広範囲に渡り、仕事を失った女性たちにとっても大きな支えとなっていた。
『三陸とれたて市場』のスタッフの一人が、この「浜のミサンガ『環』大船渡チーム」のメンバーだった関係で、八木さんは自身の事務所を、ミサンガ『環』の拠点として開放。ミサンガの“その後”について、新たな自立の道について相談にも乗っていたのだ。
「よくよく考えてみると、彼女たちは漁師の妻。つまり漁師料理の名人なんです。これまでは、作れるけど売る術がなかった。でも、最新のCAS冷凍システムの導入が完了し、鮮度と味を変えることなく全国に届けることができる。海に戻る漁師たちと連携をかけることで、浜に眠り続けた価値を市場に流すことができる。魚を売るという産業から、最高の食材でその土地に根ざした食文化を売るというビジネスモデルが可能になる。そのパーツが今、揃ったんです」(八木さん)
現在は、それぞれの家の漁師料理のレシピを出し合い、試作を重ねている段階。サメの腹の味噌煮、ゲソの塩茹で酢味噌和え、旬の魚の塩炊き……。
その日水揚げされた1箱50円、1匹10円であった安い魚も、お母さんたちの手で料理されることで“商品”としての価値が高められていく。
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