更新日:2013年06月25日 21:23
スポーツ

ヤンキースと契約、加藤豪将選手の“日本人度”

加藤豪将

MLB日本公式サイトより

 まさに「彗星のごとく現れた」という言葉がぴったりだろう。  6月上旬に行われたメジャーリーグのドラフト会議で、カリフォルニア州サンディエゴ在住の高校3年生・加藤豪将内野手がヤンキースに指名され、一気に脚光を浴びた。日本人選手がメジャーのドラフトに指名されたことは過去にもあったが、2巡目、全体の66番目という高順位で指名を受けたのはかつてなかったこと。日本人史上最高順位の指名というだけでなく今年のメジャーリーグドラフトで全二塁手の中で最高順位の指名で、守備力はすでにメジャーレベルであると評する専門家もいる。しかも人気ナンバーワン球団であるヤンキースからの指名とあって、たちまち時の人となった。  加藤は米国野球界では知られた存在で、今年の全米高校準ベストナインにも選ばれ、将来有望選手として多くのメジャー球団からマークされていたのだが、日本ではその存在がまったくといっていいほど知られていなかった。突然現れたゴウスケ・カトウとは一体何者なのか? 誰もがそう思っただろう。当初は情報が錯綜し、日本生まれという報道も出ていた。  加藤は米カリフォルニア州で日本人の両親の間に生まれている。3歳で家族と一緒に日本に戻ったが、2~3年で再びカリフォルニア州に戻りそれからは現在に至るまで米国暮らし。小学生時代からアメリカの学校に通い、家庭の中では「日本」、一歩外に出ると「アメリカ」という使い分けをしながら、バイリンガルとして育ったようだ。  家庭内では両親、姉と日本語で話し、夏休みと冬休みの年2回は毎年、長期間日本で過ごしており、日本と触れる機会は多かった。特に野球に関しては、アメリカと違うそのスタイルに強い関心を持っており、甲子園の野球中継は欠かさず観ていたという。 「こういうところでもやりたい」  灼熱の甲子園で過酷な条件の中で戦う球児たちを見て、そう思ったこともあったという。高校時代には米西部代表として高校日本代表と親善試合で対戦したこともあり、2010年代表だった一二三慎太(東海大相模)、島袋洋奨(興南)のことは今でも記憶にあり「島袋君からヒットを打って、それを結構覚えてます」と笑顔で話す。  プロ野球に関しては、母親の影響で日本ハムの試合を自宅で常に観戦していたという。 「ずっと大谷選手とかもテレビで観てて、インターネットで生で観るときもあって、メジャーももちろん観ますけど、日本の野球も分析して観ています。野球を観るのが好きなので。ダルビッシュさんとかも、高校のときとかもずっと見てたので、いつか対戦したいと思います」  野球を始めたのは、まだ物心がつくかつかない時期だった。きっかけは、父親から1歳の誕生日にプレゼントされた野球道具。「プレゼントが大きいバットとボールだったので、そこから野球一本でやっていこうと思ったですね」と加藤はいう。1歳のときに野球一本でやろうと思ったというのも驚く話だが、プレゼントがバットとボールだったということにも、やはり並外れた何かを感じてしまう。息子に初めて野球道具を買い与える場合、世の父親のほとんどがまずグローブを贈るのではないだろうか。息子が成長したらいつか一緒にキャッチボールをしたいという夢を抱き、それが父子のコミュニケーション手段にもなるだろうと考えているお父さんは多いはずだ。しかし加藤家の場合は、グローブではなく大人が使うようなバットと野球ボール。この点は、日本のスタンダードとは違っていた。  しかし加藤が野球に親しむ中で一番夢中になったのは日本人選手、イチローだった。2001年にイチローがマリナーズに入団したとき、加藤は6歳で再度アメリカに渡ったばかりの頃だ。両親と一緒にシアトルへマリナーズの試合を観に行くようになり、イチローに憧れて、もともとは右投げ右打ちだったところを左打ちに転向したほどだ。  ヤンキースに指名されてから約一週間後、ヤンキースがサンディエゴに近いアナハイムに遠征したのだが、加藤はそこでチームに合流しイチローと初めて対面した。選手のクラブハウスで、幼いころから憧れ続けたその本人と会ったときの心境は想像に難くないが、加藤はそこで、自分もイチローさんと同じスパイクを使っていると打ち明け、スパイクの話で盛り上がったという。おそらくイチローに関する日本のテレビ番組もよく観てきたのだろう。イチローの愛犬・一弓に会いたがったり、イチローを真似てカレーを食べたりしたこともあったという。そして何より、イチローと同じようにトレーニングや練習にかける時間と情熱は誰にも負けない選手となった。イチローのように打率の残せる打撃とスピードと守備で勝負できるような選手になりたいというのが目標だという。人生のほとんどをアメリカで過ごし野球のプレースタイルもアメリカナイズされているが、加藤はアメリカに住む日本人として、やはり日本への思いや意識が強い。アメリカで野球をやる中で、アメリカ人ではなく日本人であるがゆえの苦労も多かったと聞くが、だからこそ日本人としての意識が強まったのかもしれない。日本人としての意識を持ちながらも、アメリカ人と渡り合えるメンタルと技術を持った選手。 「アメリカと日本の違いっていうのが結構、見てて分かるので、その両方を一緒にして、これからもやっていきたいと思います」  そう話す加藤は、これまでにいなかったタイプの日本人メジャー選手になろうとしている。ドラフト会議から13日後の6月19日に正式にヤンキースと契約、同21日には早くもルーキーリーグの試合が始まり、すでにその一歩を踏み出した。それにしてもドラフトから約2週間後にもうリーグが始まるとは、さすがアメリカである。 <取材・文/水次祥子>
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