自虐と自尊心でねじれまくったオタクたちの生態
―[そのフツーは「普通」なのか?]―
何の気なしに口にする「フツーだったらさ~」というフレーズ。でもちょっと考えてみてほしい。その“フツー”って何だ? 平均か? 常識か? 大多数という意味か? 前提を共有しているからこそ成立する「普通」。所属する業界やグループごと、普通もいろいろなのだ。そこで今回は、ゲームやアニメを対象に活動するライター多根清史氏にオタクの“フツー”について話を聞いた
◆自虐と自尊心でねじれまくったオタクのフツー
自分たちのフツーが世間とズレていることを知っていて、「俺たちは社会に認められていない」という自虐と、その裏返しの「俺たちのセンスにリア充どもはついてこれまい」というねじれた自尊心を併せ持っているのがオタクです。
だからこそ、「◯◯廃人」「作者は病気」などのネガティブワードが、逆説的に褒め言葉になったりと、世間と意味が逆になる言葉が彼らの世界には多い。炎上事件に投げかけられる「もうやめて! ◯◯のHPは0よ」は「もっとやれ!」ですし、「◯◯先生の次回作にご期待ください」は、「期待してねーよ」の意味になります。
アニオタが中学生より年齢が上の人を「ババァ」呼ばわりし、「ババァ結婚してくれ!」と言うのは、複雑な自意識の象徴。ここでは「中学生以上をババァと呼ぶ常識に反した俺たち」「ババァでも結婚してやる心の広い俺たち」というプライドの陰に、「でも大人の女性に相手にされない俺たち」というコンプレックスがある。彼らの言葉は他人を攻撃しつつも、自分にも刃が向いているんですよ。
オタクは好きなものをネガティブな言葉で語り合える仲間のみ受け入れ、内輪で盛り上がります。一般の人にも見えるネットではあえて露悪的になり、「構わないで!」と壁を作っている面もあるのでしょう。なお、オタク用語を日常で使ってひんしゅくを買う人は、趣味をひけらかしたいライト層。重度のオタクは趣味嗜好を出さず、隠れキリシタンのように静かに暮らしています(笑)。
【多根清史氏】
ゲームやアニメを対象に活動するライター。アニメ雑誌『オトナアニメ』スーパーバイザーも務める。『教養としてのゲーム史』『超クソゲー3』『超エロ ゲー ハードコア』など著書多数。最新の著書は『アニメあるある』
― そのフツーは「普通」なのか?【8】 ―
『アニメあるある』 (例)「ここは俺に任せて先に行け」は禁句。 |
この特集の前回記事
ハッシュタグ
日刊SPA!の人気連載