毎日がイヤで仕方なかった学生生活――プログレバンド「KENSO」清水義央インタビュー【2】

清水義央氏

歯科医師として仕事をする清水義央氏

KENSO(ケンソー)――コアな音楽ファンから長らく支持されてきた、日本屈指のプログレッシブ・ロックバンドが、この7月に8年ぶりのニューアルバムをリリースした。結成以来40年間、このバンドを率いてきたリーダーでありギタリストの清水義央氏は、実は現役の歯科医師という横顔も持つ。ミュージシャンと歯科医師というユニークな“二足のワラジ”生活を続けてきた清水氏に、40周年を迎えたKENSOや自身の活動を振り返ってもらいつつ、「何かを両立するための極意」という視点から話を聞いた。

中編となる今回は、自身のバンドに対する思い入れや、陰鬱とした学生時代について語ってもらおう。

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――前作『うつろいゆくもの』から8年越しのオリジナルアルバム発表。けっこう時間が開きましたね。

清水:そうですね。お待たせしてしまい、申し訳なく思います。ただ、もともと年1ペースで新作を発表するようなバンドではないので、大目に見ていただければと(笑)。僕も歯科医業と並行しているし、他のメンバーもそれぞれミュージシャンとして多忙なので。

 それに、あいだにはちょこちょこライブもやっていたし、旧作の『スパルタ』(1989年発表)を現メンバーの光田健一君(キーボード)にリプロデュースしてもらった『スパルタ・ネイキッド』(2009年)をリリースしたりもしました。2012年には旧作をまとめたボックスセット(『KENSO COMPLETE BOX』)も出しましたしね。まあ、ホントに新作を出せるのか不安になることもありましたけど、いざ動き出してからは意外と早かったですよ。

――新作を期待するファンの声も多かったのでは?

清水:ええ。「新作、待ってるよ」「早く出してくれ」なんて期待してもらえるのは、ありがたいことです。ただ、うるさいファンもいないワケではないので。

――うるさいファンですか?

清水:長くバンドをやっていると、いろいろなことを言ってくる人もいるんですよね。ファンの方それぞれに好きなアルバムがあって当然だし、いろいろな意見があっていいんだけど、難癖みたいな批判をしてくる人もいないわけではない。僕は、ファンの方々が意見を寄せてくれるのはとてもありがたいと思う一方で、言うことを聞く気なんてさらさらないところがあるんです。

 たとえば、これまでのKENSOのアルバムだと、1982年にリリースした『KENSO II』のことを最高傑作だと言ってくれる人が多いんですね。また、1991年リリースの『夢の丘』にも信奉者みたいなリスナーがけっこうと多くて、なかにはうるさい人もいる。この『夢の丘』でドラムを叩いていたのが、村石雅行君。彼は2003年に脱退して、現在のドラマーである小森啓資君が加入するんだけど、「このメンバーチェンジには反対だ」とか「いまさらドラマーを変えてどうする」なんて批判的な声がファンの一部から上がったりしたんですよね。村石君も小森君も、どちらも非常に優れたドラマーであることは間違いない。それにバンドはメンバーそれぞれの状況とか、活動のスタンスとか、音楽性の変化などで常に移り変わってゆくもの。こちらにはこちらの事情もあれば意図もあるわけで、それを察しもしないで「反対だ」とか、余計なお世話だ! と思うんですよ。だから、新作を出すときは「いまのKENSOの音はこれだ! スゴイだろ!!」と口うるさいファンに叩き付けて、黙らせたい……みたいな思いも多少あったりするんですよね。

――率直ですね。

清水:大人げないですよね(苦笑)。でも、本音ですよ。僕のそういう思いがあったから、これまでKENSOを続けられたところもあるはず。ファンの声にいちいち耳を傾けて、それにおもねるようにしていたら、KENSOはここまで進んでこられなかったと思います。
 
 僕がバンドを続けてこられたのは、素晴らしいメンバーに恵まれてきたから。みんな、本当にすごいなといちいち感心して、彼らに嫉妬して、少しでもメンバーの奏でる音楽に近づきたい、彼らの演奏に応えたい……そんな思いだけで30数年間やってきたようなものなんです。

――清水さんはKENSO以外のバンドに正式加入したり、ソロで活動したことはありませんよね?

清水:はい。これまでも「ソロアルバムをつくる気はないのですか?」なんて聞かれることは多かったのだけど、そういう気持ちを持ったことは一度もないですね。常にKENSOのメンバーに触発されて、これまでやってきたから。単発で他のアーティストのレコーディングに参加したり、ライブセッションでゲスト的に演奏したりする機会は何度もあったけど、他のバンドに参加してコンスタントに活動したことはありません。

 他のアーティストと演奏するのは楽しいし、意外な発見などもあって素晴らしい経験なんだけど、やはり自分の曲を自分のバンドで演奏する興奮は格別なものがある。バンドって、人生の共同体というか、ずっと一緒に過ごしているからこその積み重ねがあるんですよ。メンバーそれぞれに事情があって、他の仕事が忙しくなったり、病気になったり、子どもが生まれたり……。加えて、脱退や加入といった人の移り変わりもある。

 そんな風にいろいろあるなかでも、お互いに尊敬し合いながら、何かを作り出そうとして進んでいくからこそ、生まれる音楽もあるんじゃないかと。それがバンドの“音”だと思うんです。

――KENSOあっての清水義央である、と。

清水:おっしゃるとおりです。僕は発想の人というか、よく言えばひらめき、悪く言うと思いつきで進んでしまうところがあるから、それをバンドのメンバーたちが素晴らしい技術と才能でちゃんと形にして、高めてくれる。それが僕にとってのKENSOという場なんですよね。だから、ソロでやろうとも思わないし、ソロで面白い音楽はつくれないと考えています。

 メンバーはみんな、本当に素晴らしい才能と熱意の持ち主。レコーディングなどでも、僕のほうが「そんなもんでいいんじゃない」と先にへたばるくらいで。「だってKENSOですよ。いいものつくりたいじゃないですか」と、ものすごく献身的かつ熱心に取り組んでくれるんです。そんな彼らの姿勢に、僕が引っ張ってもらっているようなところがあります。だからもし、僕に功績があるとすれば、メンバーたちが集まって才能を発揮できる場を用意したくらい。とにかく好きにやってもらったので。

 これは一般論としてだけでなく、自分のかつての経験からも断言できるけど、とりわけ若い人には好きにやらせるほうが、確実にいいものが出てきますね。そのかわり、こちらはものすごくエネルギーを消耗するけど(苦笑)。

――ところで、清水さんが初めてギターを手にしたのはいつなんですか?

清水:中2のときです。その前から、習い事としてピアノやフルートをやっていたので、クラッシックには親しんでいたのですが、ラジオから流れてきたビートルズの「Can’t Buy Me Love」に衝撃を受けまして。いわば、ロックの洗礼ですね。それからはローリングストーンズ、クリーム、ディープパープル、レッドツェッペリン……といった具合に、どんどんロックに傾倒していった。まあ、当時のロック小僧のよくある原体験ですよ。で、「フルートなんてやってる場合じゃない!」とギターを手にしました。

 今回、アルバムの他にKENSO40周年記念本も制作したのですが、その絡みで自分が10代のころに書いていた文章などを引っ張り出して読んでみたのだけど、16歳のころの自分と現在の自分が、笑ってしまうくらい同じようなことを考えていたことが発覚しまして(笑)。

 僕はもともと文章を書くのが好きな人間で、ギターもやってはいたけど、それでたくさんの人の前に出られるなんて夢にも思っていなかった。そんな小僧が「夜中に起き出して、文章を書いたりするのが大好きだ」なんて書き残しているわけ。「自分の頭の中に世紀の大合唱が鳴り響いている」とか言っている。それ、いまも同じですからね。明け方に一人で起き出して、ギターを弾いたり、考えごとをしたりしていると、頭の中に世紀の大合唱が鳴り響いて「おぉ、俺スゲェ」とか、一人で悦に入ったりしているから。まったく同じなんですよ。

――中二病的なこじらせ感を、いい意味で失わずに来てしまった感じでしょうか。

清水:音楽に関しては、そうですね。思春期独特の自意識過剰な感じとか、妄想過多な一面を抱えたまま、オジサンになってしまったかもしれません。とくに僕は専業のプロミュージシャンにはならなかったから、余計にね。KENSOという場の中で鎖国していたというか、良くも悪くも純粋培養されてしまったところがあるから。40年も続けられたのは、そういう一面も影響していると思う。プロになると、いろいろなアーティストに合わせてセッションをこなす必要があるし、プロデューサーやディレクターの指示にも応えなきゃいけない。そんな風に揉まれたり、スポイルされたりすることがなかった。

――KENSOを続けているかぎりは、音楽的に挫折することもなかったわけですか?

清水:いやいや、そんなことはありません。前編でもお話ししたように、厳格な親への反発もあって始めたロックを続けるために、親の言いつけを守って勉強して、歯科大に入るしかなかった。僕の音楽活動はスタート時点からつまづいていたというか、矛盾をはらんたものだったんです。そういう意味では、親を恨んでいたし、いつも何かを恨みながら音楽を続けてきたかもしれません。

 実は歯科大2年生のとき、「デビューしないか」という話があったんです。レイジーみたいなアイドルバンドとしてKENSOを売り出そうと。「おぉ、いいじゃん!」と一瞬、乗り気になったんだけど、実習とかが始まって、これからもっと大学が忙しくなるし、髪も切らなきゃいけない。バンドどころじゃない、ということで諦めたんですよ。

――アイドルバンドとしてデビューするのは、アリだったんですか?

清水:ぜんぜんアリですよ。とにかくプロになれるんですから。レイジーだって最初はアイドルバンドだったけど次第に自分たちのやりたい音楽をやるようになって、後にラウドネスとして成功していきましたよね。バウワウだって最初は元ドゥー・ティー・ドールのメンバーがいたりしたし。

 だから、「あぁ、デビューできなかった」と失意のもとで歯科大に通っていたわけ。当時は歯科医が儲かっていたし、周囲の学生はみんな歯科医になりたくて、やる気満々で通っている。「卒業したら外車に乗って、バンバンうまい酒飲んで、遊んでやるぜ!」みたいにギラギラしたヤツも多かった。それに当時は歯科医がモテたから、歯科大生もモテて、キャンパスに外部から来たキレイな子がいっぱいいるわけ。モデルとかね。そういう雰囲気にもぜんぜん馴染めなくて。ホントにもう、毎日がイヤでイヤで仕方なかった。だからこそ、ひたすら勉強したところもある。鬱々とするくらいなら、化学式とか覚えるほうがいいやって(笑)。もちろんキレイな子は気になっていましたよ。ただ、テニスサークル的な、チャラチャラした華やかな空気に馴染めないというか、明らかに浮くことがわかるから、「ケッ」と思いながら距離を置いてました。

――けっこう暗い学生生活だったんですね。

清水:かなり暗かったです。すべてに気後れしているような青年でしたね。「どうせ僕は……」みたいな思考が強い、実に陰気な若者だった。実際「清水はネクラ」って揶揄されたりもしたし。でも、いま思うと、当時デビューしていたり、華やかな生活に馴染んだりしていたら、いままで音楽を続けていなかったんじゃないかな。歯科大の3~4年あたりに送った陰鬱した日々があるからこそ、僕の音楽が生まれたんだと思う。いまだから言うけど、リストカットとかしてましたからね。

 当時の歯科大生は親も歯科医とかで金持ちの子どもが多かったから、みんなすごい高級マンションに住んでいたりしたけど、僕は行商の人が泊まるような「一泊300円」なんて旅館を下宿代わりにしていたんですよ。部屋は裸電球がぶら下がった三畳一間で、もちろん風呂もないし、トイレは共同。ノートを借りに来た友だちが「清水、こんなところに住んでるのかよ……」と言葉を失うくらいの部屋だった。ギターは弾けないから、大学の軽音楽部の部室で弾いて。部屋ではラジカセを本当に小さい音で鳴らしながら、ひたすら音楽を聴いたり、譜面を書いたりして過ごしていた。クリスマスイブを、暗いプログレを聴きながら1人で過ごしたり。

 そんな日々を送っていると、自分と同世代のバンド……サザンオールスターズとかカシオペアとかが華々しくデビューしていくわけ。もう、歪みますよね。あのころは、何か問題を起こしてもおかしくないくらい追い込まれていたと思う。世の中をまともに見られない感じでした。

 そのころに土台をつくっていた曲が、今回のアルバムに入ってますよ。1曲目の「若き日の私へ」や2曲目の「新宿厚生年金に空」が、そうですね。2曲目をつくった当時、僕は3年生で、髪を切ったばかり。それはまあ暗い時期につくった曲ですね。当時は、KENSOというバンドもデビューできなかったことで意気消沈している感じだったし、メンバーも就活などを控えて、どんどん活動できなくなっていくタイミングにも重なってしまって。細々と、部室で一人ギターを弾いたり、たまに他の部員に乞われてフュージョンの曲を弾かされたりしてました。

 当時は世の中がバブっていたせいか、カシオペアやリー・リトナーみたいな軽めフュージョンが流行っていまして。いや、彼らは素晴らしいんだけど、彼らのフォロワーの軟弱さが嫌いだった。当時、なんちゃってカシオペアみたいなバンドがたくさんいて、みんなが猿真似みたいに、同じような音を出しているのが気持ち悪かった。

 今回のアルバムの8曲目「A Song of Hope」で、5分を過ぎたあたりに「スッチャン スチャン チャン」みたいな、カシオペアっぽいリズムが入るんだけど、それはカシオペアがもてはやされた、あの不毛な時代をここに葬り去るためなんですよ(笑)。僕にとっては8分の「A Song of Hope」の中で、たった3秒に過ぎない、と。

 改めて誤解を解いておきますが、カシオペアが嫌いと言うのではなく、あの時代が嫌いということ。小説の『なんとなくクリスタル』がもてはやされたような、あの時代。おかげさまで、今回のアルバムでそういう歪んだ感情を3秒で封印できました。ライブのときは、その3秒間、ベロを出しながら演奏しようかと思っているくらい(笑)。

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【清水義央】
しみず・よしひさ 1957年、神奈川県生まれ。医学博士。1974年、高校在学中にプログレッシブ・ロックバンドKENSOを結成。以来、同バンドのリーダー、メインコンポーザー、ギタリストとして活躍。KENSOは内外のプログレファンに高く評価されており、海外でのライブ経験も持つ。ミュージシャンとして息の長い活動を続ける一方、現役の歯科医として診療に従事。横浜市にある自身の歯科医院で院長を務めている。

●KENSOニューアルバム『内ナル声ニ回帰セヨ』好評発売中

●2014年8月17日(日)、新作リリース&結成40周年記念ライブ開催!
川崎 CLUB CITTA’にて。16:30開場、17:30開演。
詳しくはこちら http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kenso/live/live201408.html

取材・文/漆原直行

内ナル声ニ回帰セヨ

祝・結成40周年!

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