更新日:2012年05月09日 20:31

津波に耐えた一本松が、「負けるか」と訴える

日々変わる被災地の風景。少しずつだが復興が進む一方で、このまますべてを消し去るべきでないとの声も上がっている。「惨劇を後世に伝えるモニュメントにしたい」――そう訴える側や被災地の住民たちはどんな心境なのか。関係者、そして現地の人々の声を追った。 岩手県陸前高田市 【ど根性松ノ木】
高田松原

高田松原が作られた江戸時代以来、「三陸沖地震など4度の津波にも耐えてきた」(鈴木氏)という松だが、保護策が急がれる

 津波によって約4000世帯が倒壊し、1738人の死者・行方不明者を出した陸前高田市。かつて海岸線を被うように約7万本の松が林立していた高田松原は、日本百景にも選ばれた名勝地だった。今では樹木はなぎ倒され、砂とドロにまみれてその面影はない。だが、そんな壊滅的な被害でも1本の松が生き残っていた。 「この木は世界中の人に、『津波なんかに負けるか』というメッセージを伝えてくれるはずです」  そう語るのは「高田松原を守る会」副会長の鈴木喜久氏だ。震災以前から松原の保存活動を行ってきた同会は、会長を震災で亡くしながらもこの「ど根性松ノ木」の保存に努めている。 「よく残っていたな、という気持ちです。最初は1m以上も砂に埋まり、それを掘り起こしたんです。けれど損傷が激しく、腐敗が危ぶまれています。さらにやっかいなことに、地盤沈下で海水がすぐ下まで迫ってきている。正直、生かすのはかなり厳しい状況です……」  市も協力姿勢を示してはいるが、ライフライン復旧などに追われ、物理的な支援は行えていない。そんななか、全国から有志による支援の輪が広がっている。 「日本造園建設業協会岩手支部の方や、兵庫県の日本環境グリーンさんも保存のためにさまざまな協力をしてくれています。それに文化庁や岩手県の職員も視察に訪れ、どのように残すか協議してくれている。市民にとってここは、毎朝、遊歩道をウォーキングする人も多い大切な憩いの場でした。だから、なんとかこの一本松だけでも残したい……」  地元住民も松の保存に同意する。市内で唯一営業する飲食店の店主・山田さんは「(復興した後に)あの松を見に、たくさんの人が陸前高田に来てくれたらいい」と言う。だが、「今はまだツラくてあそこに行けない」と複雑な心境も漏らした。同店は水道が復旧しておらず、従業員の多くも避難所から通っている。そんな状況だが、住民から「なんとか営業してほしい」との声があり、5月から再開したという。 「みんな、少しでも以前の日常を取り戻したいんですよ……。だから、陸前高田が元通りになるまであきらめません」  目を赤くしながら、そう話す山田さん。目と鼻の先にはガレキの海。それでもここに根を張る姿が、どこかあの松と重なった。 ― 震災モニュメントを残せ!【3】 ―
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