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疎外されがちなおっさんも、おっさん同士で疎外されないよう必死に生きている

【おっさんは二度死ぬ 2nd season】

おっさんたちの共通言語

 皆が盛り上がっているのに話題に乗れない時のもどかしさったらないものだ。僕らおっさんは特に一般社会において、そういった話題からの疎外を感じることが多い。  同僚の渡辺君などは、いい年をしたおっさんなのに若手の会話に入っていこうと、若者が雑談している場所に入り込んでいって「このあいだ見たTikTokの動画がさー」とやってしまった。その時の場の雰囲気はとてもここで書き表せないほどのものだった。なんというか、渡辺というおっさんがTikTokという単語を口にした嫌悪よりも、渡辺というおっさんに使用されるまでに堕ちたかTikTokという雰囲気が感じ取れるものだった。TikTokとしても勝手に格落ちにされてしまい、たまったものじゃないはずだ。  このように、我々おっさんは世間の話題から疎外されることが多い。それでも辛さを感じないよう、おっさんはおっさんの中で通用する話題を用いることが多い。競馬、麻雀、サウナ、風俗、ホルモン、アカギ、ハンターハンター、若い頃の武勇伝、昔はワルだった、世相への批判、昔はよかった、このあたりだ。このあたりは疎外されたおっさんたちがおっさんたちのなかで疎外されないように用いる共通言語みたいな向きがある。  おっさんたちはおっさんたちの言語で話題を紡ぎだし、決して疎外されない安堵に浸っているのだ。そう、共通言語だからこそ、おっさんたち特有の話題を輪廻転生のように何度も繰り返し同じ話題に終始しているのである。  では、その疎外されないおっさんコミュニティでも疎外されたとしたらどんなことが起こるのか。今日はちょっとそんなケースを見てみよう。  その日は、おっさん飲み仲間である辰吉さん(通称:百目のタツ)が50インチのテレビをドン・キホーテで購入したことを祝う飲み会だった。情・熱・価・格・飲み会と銘打たれた飲み会は相変わらずおっさんの共通言語で溢れていた。 「どこどこのサウナが良かった」 「さいきんのルメールはパッとしないね」 「物価は上がっているのに給料の手取りは減り続ける。この世の中は狂ってる。こんなに狂っているのは“天保の飢饉”以来だと思う」  天保の飢饉かどうかは別として、サウナ、競馬、現代はおかしい、あたりはやはり鉄板のおっさん言語だ。しかしながら、そこから話題が少しずつ移動していったのだ。

そして、通っていた中学が荒れていた自慢話に移行

「俺の行ってた中学さ、地方の公立なんだけどさ、むちゃくちゃ荒れていてさ」  遠山さんが、なんこつの唐揚げを口に放り込みながら切り出した。いかにして自分の中学が荒れていたのかという話題の幕開けだ。 「うちの中学も荒れてたぜえ、なにせ刃物を持たせられない、刃傷沙汰が起きるってんで15年くらいに渡って調理実習が実施されなかったくらいだ」  浅井さんが少しにやついてエピソードを披露した。絶対に刃傷沙汰が起きる一触即発の調理実習、もはや犯罪都市に近い。 「俺の中学もさあ、調理実習は危なかったな。ただまあ、普段から荒れていて校舎の一階のガラスをぜんぶ割られて全校生徒で段ボール貼って授業したことがあった」  辰吉さんが切り出す。 「校舎の中をバイクで走るやついたね」  遠山さんもそれに呼応する。  この「中学荒れていた」のポイントは、我々が決して荒らしていたわけではないというところだ。むしろ全員が大人しい方なのでその荒れていた様子をビビりながら眺めていただけである。なのに、おっさんともなるとその荒れ具合がまるで自分のステータスであり、武勇伝であるかのように語りだすのだ。つまり、中学が荒れていれば荒れているほど強い、みたいな訳の分からない価値観が生じる。
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一方、全く平和な中学時代を過ごした僕は……
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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