“生理の貧困”にタンザニアで立ち向かう28歳の日本人女性。ナプキン工場の資金難や嫌がらせを乗り越えて
外国人などひとりもいないタンザニアの小さな町で、生理用ナプキン製造の工場長をしている28歳の日本人女性がいる。神奈川県出身の菊池モアナさん。
「日本人のお前がどうしてタンザニアでビジネスをしている?きっと日本でやるより儲かることをこっそりとやっているんだろう。事業の本当の目的は何だ?」
2023年、タンザニアで事業を始めて半年たった頃の菊池さんは、タンザニア政府の移民局担当者からこうつめ寄られた。いつも気丈な菊池さんだが、この時ばかりは、悔しくて悲しくて、涙が止まらなかった。
「お金儲けを目的にビジネスをしているんじゃないのに、そう思われていることがショックでした。新卒の時の給与の半分も受け取っていない状態で、必死にやっているのに」
この時のたかぶる気持ちを思い出して笑顔を曇らせる菊池さん。しかし、このエピソードは数ある試練のひとつにすぎない。
菊池さんは1995年、神奈川県川崎市で生まれた。「モアナ」という名前にはご両親の熱い想いが込められているが、正真正銘の日本人だ。この名前の由来については後述しよう。菊池さんが国際協力の分野に興味をもったのは、中学時代の先生が平和学習に力をいれてくれたのがきっかけだ。
初めてタンザニアの地を踏んだのは菊池さんが大学3年生の時である2017年8月。文部科学省が運営する「トビタテ!留学JAPAN」の奨学金を活用した。菊池さんがイギリスでの8ヶ月の留学を終え、タンザニア北部の水道もガスもない村で教育事情の調査を始めた時だ。標高1300メートルの山奥での生活は、「ジュラシック・パークの世界をちょっと整えたような」環境だったと言う。水道はないので、川に水を汲みにいき、洗濯も川で行う。お湯も沸かせず、バケツいっぱいの冷水で「冷たい!」と叫びながら風呂に入った。
「小さい時は、自然教育を大切にする幼稚園で毎日どろんこまみれになって遊んでいました。典型的な野生児として育てられ、幼少期から自然にふれていた経験がめちゃくちゃ生きましたね。タンザニアの村での生活は大自然すぎて、普通の日本人女子だったら耐えられないようなところもありましたが、だんだんと平気になりました」
この調査をしている間に、当時付き合っていたタンザニア人、ウィリアムさんとの子どもを妊娠していることが発覚する。当時の菊池さんは青年海外協力隊に入るという夢を実現するためにやりたいことが山ほどあり、出産するつもりはなかった。
「妊娠がわかった時は、どこで中絶できるのだろうということをまず考えました」
中絶しないでほしいというウィリアムさんの説得に対しても「産めないものは産めない」とはっきり伝えた。ところがこの時、タンザニアでは容易に中絶ができないことを知った。
タンザニアにも中絶手術を請け負う闇医者がいたが、二度と子どもが産めない身体になったり、ひん死の状態になったケースを聞いて怖くなった菊池さん。そこで、ビザ更新のため訪れた隣国のウガンダで、タンザニアでは購入できない中絶薬を入手した。しかし、ウィリアムさんの涙ながらの説得もあり、タンザニアではその薬を飲む決心がつかなかった。
いったいなぜタンザニアで生理用ナプキンをつくろうと思ったのか? 彼女の原動力と今後の展望を聞いた。
「日本より儲かるんだろう」
ジュラシック・パークのような大自然
民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ政治・世界情勢について取材。2022年にタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。著書に『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法』がある。X(旧Twitter):@tmk_255
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