山口連続殺人事件は“平家落人伝説の地”で起こった!?
⇒【写真】「金峰神社に残る石柱」https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=494643
事件現場は平家の落人伝説が伝わる土地だったのだ。が、源氏から逃げ延びて、この地にたどりついたのは平家だけではない。源平の船合戦から約400年後にも、源氏に追われた落人たちがいた。
「戦国時代に今の周南市の大半を治めていたのは大内氏の家臣だった陶氏でしたが、謀反を起こして実権を握った陶氏を滅ぼしたのが毛利氏。この毛利氏はご存じのように、清和源氏の流れを汲みます。再び、源氏によって、この地で殺戮劇が繰り広げられたんです」(同)
八つ墓村は尼子氏の落人伝説が伝わる村を舞台にしているが、尼子氏も同じように毛利氏に攻めたてられて滅亡している。今回の事件が平成版八つ墓村と言われる由縁だ。
だが、この地に眠る伝説には、さらに続きがある。
「周南市徳山には戦中、海軍燃料廠がありました。日露戦争のときには満州軍総参謀長も務めた名称・児玉源太郎が徳山出身で、いち早くこの地に眠る無煙炭に目をつけたんです。当時の軍艦のほとんどは石炭を使っていましたが、ここで採れる無煙炭は特に良質だった。それを使うことで船足を早めて、日本海軍は数多くの戦果を挙げたわけです。だから、佐世保から出港する直前に戦艦大和が寄港した最後の軍港もここ徳山でした。加えて、徳山から海を挟んで西南10kmほどに位置する大津島は人間魚雷として知られる『回天特別攻撃隊』の訓練基地がありました。ここ徳山には数多くの軍事拠点があったため、昭和20年の5月と7月の2度わたって大規模な空襲を受け、1000人単位の死者が出た。特に7月の空襲ではぐるりと市街を囲うように焼夷弾を落とされ、市民を追い込んだうえで爆撃されたといいます」
⇒【写真】「回天記念館」https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=494661
訓練基地跡はスピリチュアルスポットとして知られている。「カメラのシャッターを押しても、写真が撮れんところもある」(飲食店経営者)というのだ。
まさか怨念に憑りつかれての犯行とは思えないが、保見容疑者を突き動かしたのはなんだったのか? 証言が待たれる。 <取材・文・写真/日刊SPA!取材班>
一夜にして5人の命が奪われた山口連続殺人・放火事件から間もなく1か月。逮捕された保見光成容疑者(63)は周囲との軋轢があったことをほのめかしながらも、いまだ多くを語っていない。
ご存じのとおり、わずか8世帯の集落・金峰郷(山口県周南市)を襲った悲劇は、“津山30人殺し”をモデルにした名作になぞらえ、「平成版八つ墓村事件」として全国に知れ渡った。
ともに事件現場は中国地方の小さな集落。保見容疑者が津山事件の犯人・都井睦雄(犯行当時21)と同様、集落内で孤立していた点など、八つ墓村(津山事件)と今回の事件との共通点は多い。
だが、最も因縁めいた共通点は、その土地にまつわる“伝説”だろう。地元の歴史に精通する政治家が話す。
「このへんは壇ノ浦の戦いで逃げ延びた平家の落人が逃げ延びた土地なんです。金峰の北にある平家ヶ岳はそのまんまですが、金峰から東に5kmほど行った須万(すま)も平家ゆかりの播州(兵庫県西部)の『須磨』をしのんで名付けられた土地。そのほかにも五郎丸という土地は、平家水軍にちなんだ地名だし、秘密尾という土地は文字通り、逃げ延びた落人が身を隠したことにちなんだ地名です。馬糞ヶ岳といった武士にまつわる地名が多いのも特徴的です」
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ