ばくち打ち
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(13)
2002年の公開入札新制度のもと、マカオ政府の審査を通ったのが、以下の6社だった(サブ・ライセンスおよび2005年の追加ライセンスを含む)。
澳門博彩股份有限公司(SJM社)、代表スタンレー・ホー。地元系の資本。持ち株会社はSTDM社。
銀河娛樂場股份有限公司(ギャラクシー社)、代表・呂志和。香港系の資本。
永利渡假村(澳門)股份有限公司(ウィン・リゾート・マカオ社)、代表スティーヴ・ウイン。ラスヴェガス系の資本。
威尼斯人(ヴェネシアン)集團(LVS社)、代表・シェルダン・アデルソン。ラスヴェガス系の資本。これは直接のライセンスではなくて、ギャラクシー社のサブ・ライセンスの形式をとっている。
美高梅金殿超濠股份有限公司(MGM社)、代表・バンジー・ホー。ラスヴェガス系の資本と地元マカオ資本のジョイント・ヴェンチャー。
新濠博亞博彩(澳門)股份有限公司(メルコ・クラウン社)、代表・ローレンス・ホー。オーストラリア系の資本と地元マカオ系資本のジョイント・ヴェンチャー。
ここに、現在の6社体制の基礎が築かれた。その代表者の姓でわかるように、ライセンスのうち3件は、ホー・ファミリーに与えられている。
(その後、資本の合従連衡があったのだが、複雑になるので省略する)
マカオ政府、というか実質的にこの「公開入札」を仕切ったのは北京政府だったにもかかわらず、なぜアジア系資本ではなくてアメリカ系資本に3件ものライセンスを与えたのか?
タネがわかれば、簡単な事情だった。
2001年のIOC総会で、アメリカIOC協会が2008年オリンピックの候補地として北京を支持する、という条件と引き換えだったのである。
2002年2月に、公開入札の結果が発表された。そのときは漏れていたLVS(ラスヴェガス・サンズ)社には、同年12月にサブ・ライセンスの形式で事業者権が与えられた。
出遅れていたはずのLVS社は、以降昼夜なき突貫工事で、わずか1年半後には16万5000平方フィート(その後、22万9000平方フィートに拡張)、ゲーム・テーブル740台のラスヴェガス型のメガカジノ・澳門金沙(マカオ・サンズ)を、マカオフェリー場近くにオープンした。
それまで澳門葡京酒店(ホテル・リスボア)と小規模カジノの鉄火場しか知らなかった、地元および大陸からの打ち手たちは、ドギモを抜かれた。
まるで、巨大な体育館のような建物に、見渡す限りのバカラ卓が並んでいる。
オープンしたばかりの澳門金沙には、宿泊部がない、とされていた。
客たちは、たとえば隣接するマンダリン・オリエンタル・ホテル(現在のグランド・ラパ)等に宿泊し、カジノに通う。
ところがその頃にも、澳門金沙内に宿泊棟はあったのである。
しかし、51室(数え方によっては42室)しかない。
いわゆる「一般のお客さん」にはひっくり返っても泊まれないホテルである。500万HKD(7500万円)以上のデポジットをする打ち手たちだけに宿泊が許される、クラブ形式の宿舎だった。
クラブの名をPAIZA(パイザ)という。
LVS社は、澳門金沙のオープンから、わずか8か月で、第一期総投下資本(約250億円)の全額を回収した。それ以降は、やればやるだけ「儲け」である。
そしてその「売り上げ」のほとんどは、PAIZAのメンバーたちからのものだった。
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(12)
このマカオ戦争でもっとも突出した利権の草刈り場となったのが、カジノに存在したジャンケット・ルームだった、といわれる。
当時はカネをつかえばなんとかなったジャンケットのライセンス、およびそこから派生する金融屋や債権回収の権利である。
まだ湯気を立てている斬り取られたばかりの生腕(なまうで)が、ジャンケット・ルームに投げ込まれた(2000年)。
カジノ近辺の駐車場に、死体が積み上げられる(1999年~2001年)。
「マカオ戦争」で地下組織が三つ巴のドンパチをやっている間は、当たり前の話だが、カジノには閑古鳥が鳴いた。
地元地下勢力と新旧(大陸および香港)の黒社会が共同で、金塊が埋まっている(と想像した)ガチョウの腹を切り裂こうとしていたのだから。
イソップ寓話ではないが、ガチョウに死なれては、元も子もなかった。
そこで、北京政府の権威を背景としたオモテ権力のマカオ政府が、ウラ社会の抗争に直接介入する。
四者(政府・地元地下組織・香港三合会・大陸黒社会)間でどういう合意がなされたかは、諸説があって、現在にいたるまで正確なところはわかっていない。
ただこの四者協議および合意で、「マカオ戦争」は一応の終結をみた。
マカオに平穏の日々が戻ってきた。
そしてそれ以降、マカオが「世界のギャンブル首都」として、想像もつかないほどの飛躍を遂げていく。
人口60万人にも満たない小都市のカジノ群が、それまでぶっちぎりに「世界のギャンブル首都」だったラスヴェガスの約6倍の「売り上げ」を、のちに記録したのである。
その大飛躍の源となったのは、なんと言っても、マカオでカジノ事業をおこなう許可を、マカオ政府が競争入札制とした点だろう。
これで約40年間にわたりマカオの「博彩」を独占的に仕切ってきたスタンレー・ホー率いるSJM社(持ち株会社はSTDM社)の独占が崩れた。
それまでSJM社が握っていた「博彩」利権とは、いったいどれほどのものだったのか?
そもそも親会社のSTDM社は、マカオのGDPの40%強を創出したこともあった。
それのみならず、行政権移譲前の宗主国であるポルトガルの政治にも、STDM社は深い影響力を有していた。21世紀初頭まで数代にわたり、ポルトガルの大統領は、スタンレー・ホーの息のかかった者が務めている(前か元の「マカオ総督」が、大統領に指名された)。
2002年、カジノ・ライセンス競争入札制度の導入で、STDM社が握っていた巨大な影響力のかなりの部分がひっくり返された。独占ではなく寡占となったからである。
「マカオ戦争」から学んだマカオ政府は、このカジノ・ライセンス競争入札における法整備の際、それまで限りなく怪しげだったジャンケット業界にも、法規のメスを入れた。
そうでもしなければ、ラスヴェガスを本拠とするアメリカ資本のカジノ事業者たちは、公明正大にマカオのカジノ・ライセンスの入札に参加できなかった。真っ黒けのシステムに直接関与すれば、ネヴァダ州カジノ管理委員会に、その北米ライセンスを取り上げられてしまう可能性がある。
2002年の競争入札で、スタンレー・ホー率いるSTDM社が独占的に仕切っていたマカオのカジノ業界に、新しいライセンスを得た外資が、血刀を振りかざして殴り込んできた。
その斬り込み隊の先鋒となったのが、シェルドン・アデルソン会長率いるラスヴェガス・サンズ(LVS)社である。
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(11)
イギリスの「香港租借権」、ポルトガルの「マカオ租借権」が期限をむかえ、中国共産党政府に施政権が移管されたのだから、当然にも政治・経済・社会その他もろもろに巨大な影響が及んだ。
当時、というか現在でもそうなのだが、香港・マカオといえば、北京政府にとって「金の卵を産むガチョウ」である。
ご存じのようにイソップ寓話で語られる「金の卵を産むガチョウ」とは、こうだ。
ある日農夫は飼っているガチョウが黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚く。それからもガチョウは1日に1個ずつ黄金の卵を産み、卵を売った農夫は金持ちになった。しかし農夫は1日1個しか卵を産まないガチョウに物足りなさを感じ、きっとガチョウの腹の中には金塊が詰まっているに違いないと考えるようになる。そして欲を出した農夫はガチョウの腹を切り裂いた。ところが腹の中に金塊などなく、その上ガチョウまで死なせてしまった。(Wikipediaによる)
欲をかいて香港・マカオ経済の腹を切り裂き、それを殺してしまえば、元も子もなくなる。
そこで北京政府は、香港とマカオを「特別行政区」に指定し、「一国二制度」でこの激動期を乗り切ろうとした。
行政権の首根っこは北京が握るが、あとは従来通りにやってくれ、ということである。
オモテの社会ではそうなったのだが、ウラの社会では、中央政府の命令どおり簡単にコトが運ぶわけではない。
香港・マカオの豊かな経済を目指し、大陸の黒社会(地下組織のこと)の住人たちが、雲霞(うんか)のごとく押し寄せた。
そこで勃発したのが、いわゆる「マカオ戦争」である。
これが1999年秋だった。
大陸からマカオに進出してきた黒社会の住人たちは、貧しかった。
失うものがない。
命の値段だって、安いものだ。
それがマカオという、当時の人口は50数万人だが、アジアでも有数の裕福で安全な都市に、カネと栄光を求め、まるで津波のごとく押し寄せた。
敗戦直後の日本の社会史をひもといてみれば、その構図はわかりやすいはずだ。
焼けたトタンの匂いがまだ残る東京・横浜・大阪・神戸等の都市の瓦礫の中から自然発生した、「失うものは命だけ」とする愚連隊の若者たちの台頭である。
それまで抑えつけられていたエネルギーが一挙に解放され、新しい暴力は、既存の地下社会集団が形成していた秩序に、嵐のごとく襲いかかった。
敗戦直後の日本で起こったのとほぼ同様なことが、施政権返還を期に、香港・マカオでも起こったのである。
日本では誤解している人たちが多いのだが、そもそも合法カジノの周辺の治安とは、とても良好なものだ。
当たり前の話である。治安が悪いような場所で、大量の現金を持ち歩こうとする酔狂な者など居ないのだから。
カジノのセキュリティとか関係当局が、厳重にその周辺の治安に眼を配る。
マカオを安全で楽しめる都市にする(そうしなければ、金持ちたちが寄り付かない)、とする地元地下勢力と香港三合会(香港の地下組織の連合体)との「血の誓約」は、新しい暴力の登場によって、一顧だもされず破棄された。
古いウラ秩序が、新しい暴力の挑戦を受けたのである。
既存のウラ社会がウラ社会なりにもっていたルールや仁義は、新しい暴力には通用しない。
「なんでもあり」の「仁義なき戦い」が勃発した。
これが1999年に始まり2001年までつづいた「マカオ戦争」の本質だった、とされている(その余韻は2002年まで残った)。
市街地で銃撃戦がおこった。
南湖湾のお汁粉みたいな水に、大量の死体が浮く。
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(10)
(7)で記載した数字に誤りがあったことを、某ジャンケット事業者から指摘された。 まあ、わたしの書くものには、いろいろと不思議な読者がいるものだ、とあらためて思った。 ――ところがマカオには、ライセンスをもっているジ […]
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(9)
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(8)
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(7)
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番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(6)
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