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インド聖地の石段9999段を登ると――小橋賢児「あえてレールを外れる生き方」

2015年の夏、日本中でもっとも熱かったダンスミュージックフェスティバル「ULTRA JAPAN」は、一人の男の熱狂から始まった。周囲の反対を押し切って開催したイベントは成功し、巷間に伝導したころ、その男はバックパック一つでひっそりと旅立つ。 小橋賢児【僕が旅に出る理由 第5回】 アメーダバードに到着すると一斉にリキシャが集まってきて、まるでマグロの競りのようにあちこちで値段が飛び交っていた。面白いいのでどこまで下がるか粘りに粘ってみたら、結局4分の1くらいまで落ちた。 リキシャの運転手にホテルは決まってるのか?と言われたので「まだ」というと、「いいところに連れていってやる」と言われた。最初に連れていかれたホテルはボロボロすぎて、勘弁って感じだった。すると運転手は「わかった。もう少しいいところがあるから!」と半ば強引に違うホテルへ連れていかれ、「ここはどうだ?」と。正直外観はイマイチだけど「中を見てくるよ」といって離れようとしたら、運転手も親切にホテルのフロントまで一緒についてこようとしている……。 なるほどこれで料金の一部をもらうんだなぁ!とすぐにわかった。どうりでリキシャの料金が安くなった訳だ。 しかしながら、ちょうどホテルの場所が今回の目的であるカイトフェスティバル会場の近くで、値段も安く部屋もそこそこだったので、そこに泊まることにした。 肝心なカイトフェスティバルはというと、想像してたのと全く違い、ただ会場が広いというだけで子供騙しのタコあげ祭りで、まったく面白くはない。それより街中で子供達があげていたタコあげの方がよっぽど素敵な光景に思えた。アメーダバードはあのガンジーが産まれた場所でもあって、ざっと観光名所も廻ったがアメーダバードはこれくらいでいいかなって気分になった。 普段はあまりガイドブックは持たない主義だが、今回ばかりは長期の旅なので、持って行って本当に正解だった。ガイドブックが「ダーツの旅」的役割をしてくれて想像もしてなかったところに連れていってくれる。 たまたまページがめくれたところをみると、ここから少し離れてはいるが、魅力的な山が載っているではないか! 「思い立ったが吉日」という事で、早速行き方をホテルの支配人に聞いてみた。するとその山へは夜行バスで行く事ができ、到着するのは明日の早朝だった。ホテルの支配人はとても親切な人でインターネットでチケットを購入するのを手伝ってくれた。 しかし、購入画面まではいくのだがその先が何度やってもつながらない。後でわかったのだがインド在住のカードじゃないと購入できないらしいのだ。結局何時間か試行錯誤しいているうちに席が売り切れてしまっていた……。 すると支配人が、直接バス会社にいってチケットを購入した方が確実だと言い出した。 「席は売り切れてしまったのに?」と「面倒だなぁ」って気持ちが一瞬入り交じったが、「ここはインドだぞ!いったら何とかなるかもしれない!」と思った僕は、ネット購入をあきらめてバス会社へとむかった。インドのバスはなかなか便利で10時間以内の距離なら大抵1時間おきにでていたりする。なのでバス会社は沢山ある。これはいわゆるツーリストバス(ローカルのバスについては後日ふれます)ってやつの話で事前に席を指定して予約をとるシステム。エアコンの有無、リクライニングシート、寝台車はシングルとダブルまで選べるようになっている。 さすがインドと言わんばかりだが、ネットに出てないチケットがザラにあって、ネットで売り切れになっていたのにも関わらず、支配人の言う通りであっさりとチケットは購入できた。そしてシングルベットシートまで指定できた。急がば回れという言葉の大切さをこの歳ながらに痛感する。 ホテルに戻って支配人に、「あなたの言う通りでしたありがとう!」というとニコっと笑って、だろ!って感じにかえされた。「荷物は戻ってくるまで置いておいていいよ。鍵のかかった部屋でキープしといてあげるから安心して。その変わりトリップアドバイザーに評価してほしい」と言われた。 インドで安心というのはないのだけど、彼はトリップアドバイザーの評価の方を気にしているくらいなのでまぁ大丈夫かなと思い、ありがたく預ける事にした(後にわかってきたのは観光地の店のほとんどはトリップアドバイザーとロンリープラネットの評価で成り立っている)。出発の時間まで少しあったのでちょっと休憩していると知らない電話番号から何度も電話がかかってくるではないか。 声の主はヒンディー語で、何か叫んでいるのだが、それが全くもって何をいっているのかわからない。するとまた違う声の主から電話が鳴る。 Where are you? (どこにいるんだ?)、Where are you? (お前はどこにいるんだ?) といっているようだったので、I am at Hotel now(ホテルにいるよ!)と返した。 すると、Bus is leaving now! (バスは今出発だ!)といっているではないか… え?って時計をみても出発までまだ1時間はある。それでも相当な剣幕でいってくるので仕方なくバス停に向かうことにした。向かう途中でさえも何度もWhere are you ? とかかってきて、到着するとその声の主がもの凄い剣幕でAre you crazy?と怒鳴ってきた。 今になってもわからないが、バスの出発時間に遅れてもなければ時計の針もくるってなかった。全くもってCrazyなのはこのおっさんな訳なんだが、こういう理不尽な事はインドではしょっちゅう起きるのだ。とにかくバスは出発しなくてはならなかったので乗り込んだ。社内はお世辞にも綺麗とは言えないが、シングルの寝床があったので、もってきていた寝袋と収納式の枕を敷いて寝る事にした。 反対側をみるとダブルサイズの寝床に人が寝ていて、なんだあっちの方が広くていいなぁっと思っていたら、そこに別のインド人が乗ってきて同じベッドに寝そべりはじめた…インド人は男友達でも手をつなぐらしいが、外国人はインドのバスで、ダブルベッドには乗らない方がいいかもしれない。 ベットは起き上がったら頭をぶつけてしまうくらいの狭い空間ではあったが、走り出したら案外ぐっすり眠れてしまった。バスはアナログ式でそれぞれの到着地につく前に地名を連呼してくれるのはいいのだが、インド訛りの発音が聞き取りにくいので、毎回自分で時間を計っては到着地を確認して降りていた。翌朝4時、ジュナガールというところに到着した。 そこから近いところに目指すギルナール山というのがあって、リキシャでむかうことにした。
夜明け前の登山者たち

夜明け前の登山者たち

まだ真っ暗な夜明け前にも関わらず、多くの登山者というか多くは宗教衣装に身を包んだ人ばかりがそこにいた。その山やジャイナ教の聖地であって9999段の石段を登っていくのが一つの儀式みたいになっているそうだ。 なので、そこには通常の登山やトレッキングのようなスタイルの人はほぼ皆無であった。まだ景色が何も見えないなか、祈りの声とかすかな人々の気配をかき分けてはその石段を一つ一つ登っていった。 音楽を奏で祈りを捧げながら登っている人、まだ3歳にも満たないであろう赤ん坊と登っている親。驚いたのはあまり歩けない老婆を料金をもらって担いで登っている輩が意外にも沢山いたこと。 ⇒【画像】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1057491
運ばれるおばちゃん

運ばれるおばちゃん

なんという隙間産業だ… そして出発から約2時間半くらいがたち、ようやく美しい寺院が見えてきた。 ⇒【画像】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1057492
中腹の僧院

中腹の僧院

自らの足で登ったからでもあるが思っていた以上に神聖な光景は、天空の寺院という言葉にふさわしかった。 そこで若者たちに声をかけられ、寺院の中を少し案内してもらえることになった。 標高が高い場所に付け加え、早朝でそれなりに気温が低いにも関わらず、そこでは大勢の人々が禊ぎのように服をぬぎ、冷水をかけていた。さすがに僕は参加しなかったが信仰というものが、この努力をおしみなくさせているのであればそれは凄いことだと思った。 頂上の場所まではそこからさらに倍くらい登った場所だという事が彼らに聞いてわかった。観光客はだいたいこの中腹で帰ってしまうらしいのだが、せっかくだからさらに頂上を目指すことにした。
石段

石段

歩いても歩いても頂上は見えず、雲でさえも自分の眼下に落ちてきている。4時間くらいの距離は通常の山のトレッキングならなんてことないのだが、この石段が想像以上に足腰にくる。こういった時に頂上ばかりを意識してしまうと実に辛い。だから頂上は想像するのは最初だけで、その後は一歩一歩目の前を踏んでいくことだけを心がけるようにしている。 まるで人生のように、気づいたら山頂にたどり着いているときがある。 昨年だが、日本でもなかなか難関な山と言われている西穂高に仲間と登った。 ちょうど雪解けが始まった頃ではあったが、それでもまだ雪は十分に積もっていた。浮き石もある岸壁を恐る恐る登っては進むのだが、先を考えると足下が震えてとてもじゃないけど進めない。途中に誰かが滑落したであろう慰霊碑があったり、想像すると恐ろしくて進めやしないので全神経を今という瞬間に集中させて登っていく。そうして意識と体が一体になるとクライマーズハイ状態に入り、先ほどまだ怖くて恐る恐る触っていた浮き石も触る前に大丈夫かどうかわかってしまうほど超人的な状態に入り、かつ心はいたって平静な状態になり、気づいたら頂上に着いていた。 人間の能力というのは普段数パーセントしか使われていないと言われるけど極限になるとその能力というのは発揮される。 これは僕の事を客観的に分析されて気づいたのだが、堀江貴文さんの著書『あえて、レールから外れる。逆転の仕事論』に僕の事を書いていただいたことがある。その著書に登場するほとんどの人に共通していたのが、現状に満足せず、未来の目標などに執着せず、ただひたすら今やれる事にチャレンジしていったら、気づいたら未来がやってきたという人ばかりだった。 アナログの時代なら、子供の時に立てた憧れの職業が大人になってなくなるって事はないだろうけど、今の時代は物の価値観が網の目ように変わっていくので目標に縛られるとかえって見失ってしまう場合がある。感覚的な目標は持ちつつ、後は山登りのように目の前の階段を一歩一歩登るようにしている。その方が気づくと知らない山の頂上に到着してたり、未来が勝手にやってくるみたいで面白い。 実際、5年前の自分が音楽フェスや映画のディレクターになるなんて全く想像していなかったのも事実であるし、それらを追いかけていたらこうはなってなかった気もする。 旅もそうだけど大まかなプランだけ立てて、後は今を感じ取りながら自分のやれる範囲に集中して流れに身を任せた方が想像もしないとところに辿りつける。逆に目的地に縛られているとせっかく出会うはずだった新たな道を逃してしまう。 登山開始から4時間強、ギルナール山の山頂に到着した。 バスの旅もいれると14時間の旅であったが、14時間前には全く想像もしてなかった場所に実際僕はたっている。一度登ってしまえばなんと清々しいことか、この気持ちは自分の足で登ったものしかわからないが周りには喜びを共有できる人々が沢山いた。 頂上には小さな寺があり、お賽銭をしたら、少し降りたところで無料の食事があるから食べていきなさい、と言われた。無料の食事? まさか、と思ったが本当に誰にも無料で食事が配られていた。
頂上の僧院

頂上の僧院

後にこのような光景はよく見るようになるのだが、インドのある宗派によってはこのように食事などを奉仕するところが結構あったりする。出家した人間もそうだけど、このように人様にお世話になることで本当のありがたみという事を学べのだろう。
途中でであったファミリー

途中でであったファミリー

もちろんありがたくいただき、同じく4時間の下山と10時間のバスを乗り継いで街へ戻り、すぐさまバスのチケットをとりさらに北を目指すのだった… ●小橋賢児(こはしけんじ) 小橋賢児俳優、映画監督、イベントプロデューサー。1979年8月19日生まれ、1988年、芸能界デビュー。以後、岩井俊二監督の映画『スワロウテイルバタフライ』や NHK朝の連続小説『ちゅらさん』、三谷幸喜演出のミュージカル『オケピ!』など数々の映画やドラマ、舞台に出演し人気を博し役者として幅広く活躍する。しかし、2007年 自らの可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後、世界中を旅し続けながら映像制作を始め。2012年、旅人で作家の高橋歩氏の旅に同行し制作したドキュメンタリー映画「DON’T STOP!」が全国ロードショーされ長編映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また、世界中で出会った体験からインスパイアされイベント制作会社を設立、ファッションブランドをはじめとする様々な企業イベントの企画、演出をしている。9万人が熱狂し大きな話題となった「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターも勤めたりとマルチな活動をしている。
あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

武田双雲、佐渡島庸平、増田セバスチャン、田村淳、HIKAKIN、小田吉男、小橋賢児、岡田斗司夫というグローバルビジネス時代を生き抜くイノベーターの仕事論を紹介し、堀江貴文が分析。

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