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“女ボディーガード”チャイナの野心と苦悩――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第249回(1997年編)

PLAYBOY

“世界の9番めの不思議”として一世を風びしたチャイナがWWEデビューを果たしたのは1997年2月。トリプルHの女性ボディーガードという役どころだった。(写真は米「PLAYBOY」誌、2000年11月号表紙より)

 “世界の9番めの不思議”チャイナがWWEのリングに出現したのは1997年2月17日(テネシー州ナッシュビル)。リングサイド最前列に座っていた“観客”というシチュエーションで、ゴールダストの女性マネジャーのマレーネに襲いかかり、正体不明の女性ボディービルダーとしてTVデビューを果たした。  プロフィルについてはフィクションと思われるストーリーがいくつも存在していて、あるひとつのエピソードともうひとつのエピソードのディテールとが矛盾している場合がある。  正確なデータとされるものによれば1969年12月27日生まれで、本名はジョーニー・ラウアー。出身地については資料によってニューヨーク州ロッチェスターと記載されていたりニューハンプシャー州ランドンデリーとなっていたりする。  “公式プロフィル”によると、16歳のときに国連の交換留学生プログラムから奨学金を取得してスペインに留学。1987年にスペインのハイスクールを卒業後、アメリカに戻り、フロリダのタンパ大に入学。1992年、同大学を卒業(専攻はスペイン文学)。その後、米政府派遣の途上国援助部隊ピースコープスに参加し、教員としてコスタリカに長期滞在したという。  名門レスリング・スクール“キラー・コワルスキー道場”でプロレスの基本を学び、1995年9月、ジョーニー・リーのリングネームでボストンのインディー団体IWF(インターナショナル・レスリング・フェデレーション)でデビュー。それからわずか1年5カ月後にはWWEと契約しているから、かなりのスピード出世だった。
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チャイナはまったく新しいタイプの女性アスリートだった
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