チャイナ 人生はローラーコースター――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第86話>
ニックネームは“世界の9番めの不思議The 9th wonder of the world”。
“世界の七不思議”のあとにくる“8番めの不思議”がアンドレ・ザ・ジャイアントで、チャイナは“9番めの不思議”というポジションになっていた。
WWEのリングでほんの一瞬だけ輝き、あっというまに消えた、文字どおり不思議なスーパースターだった。
そのプロフィルにはミステリアスな部分が多い。生まれはニューヨークで、ホームタウンはニューハンプシャー州ロンドンデリー。家族は母ジャネット、姉キャシー、兄サニーと数人の義父たちとされる。
16歳のときに家を出て、国連の奨学金制度を使ってスペインに留学。1992年、タンパ大学を卒業(専攻はスペイン文学)。大学卒業後にニューヨークでフィットネス・モデルとなり、その後、ボストンの“キラー・コワルスキー道場”でプロレスを学んだ。
自伝本『イフ・ゼイ・オンリー・ニューIf They Only Knew』にはチャイナの半生がつづられているが、チャイナ自身が一人称で語るさまざまなストーリーはノンフィクションとフィクションのブレンドといわれ、ディテールがひじょうにあいまいなタッチになっている。
もともとプロレスファンというわけではなかったのだろう。ボディービルダーだったチャイナは「男と闘う女子プロレスラーになるため」にプロレスを選択し、電話帳で“コワルスキー道場”を調べた。本のなかでは師匠コワルスキーが――かつて一世を風びしたスーパースターではなく――変人として描かれている。
できるだけ正確なデータをつなぎ合わせてみると、1996年9月にボストンのインディー団体IWFでジョーニー・リーのリングネームでデビューし、それからわずか5カ月後の1997年2月にWWEのリングに初登場しているから、かなりスピード出世だった。トリプルHの“女性ボディーガード”というキャラクターはWWEがプロデュースした。
チャイナに変身してから3年後に『PLAYBOY』誌(2000年11月号=9月発売)のカバーガールとなり、センターフォルド・グラビアでヌード写真を公開した。
自伝本『イフ・ゼイ・オンリー・ニュー』がリリースされたのはそれから3カ月後の2001年1月。チャイナはきわめて短い時間でいきなりスターダムにかけ上がった。
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