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ビンスが認めたECW――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第246回(1997年編)

ベアリー・リーガル

ハードコア団体ECWの主力メンバーが月曜夜のプライムタイム番組「マンデーナイト・ロウ」を“番組ジャック”。ビンス・マクマホンとポール・ヘイメンECWプロデューサーが仲よく実況ブースに陣どった(写真はECWの第1回PPVイベント『ベアリー・リーガル』告知資料より)

 いまになってみれば、それは歴史的な事件といってよかった。WWEの月曜夜のプライムタイム番組“マンデーナイト・ロウ”にポール・ヘイメンとECWの主力メンバーがゲスト出演した(1997年2月24日、ニューヨーク州ニューヨーク、マンハッタン・センター)。

 メジャーリーグWWEとハードコア団体ECWの政治的接近は、ビンス・マクマホンとヘイメンの“頭脳の融合”を意味していた。

 ヘイメンがフィラデルフィアの貧乏インディー団体ECWの経営をテイクオーバーしたのは1993年9月。翌1994年8月には団体名をそれまでのイースタン・チャンピオンシップ・レスリングからエクストリーム・チャンピオンシップ・レスリングに改称。

 伝統的なアメリカン・スタイルとFMW的なデスマッチ路線、そして、観客のハートに訴えるノンフィクションの人間ドラマをミックスさせた革命的なレスリング・スタイルで“ハードコア層”とカテゴライズされるディープな感覚のマニア層を獲得し、その勢力を着実に拡大してきた。

 1994年8月の団体名称変更をその後のハードコア・ムーブメントのプロローグとすると、ECWはわずか3年たらずでWWE、WCWに次ぐアメリカのプロレス界の“ナンバー3”に急成長をとげたことになる。のちに天才プロデューサーと呼ばれるようになるヘイメンは、この時点ではまだ悪党マネジャー時代のリングネームだったポール・E・デンジャラスリーを名乗っていた。

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WWEとECWは、あくまでも戦略的な意味で握手を交わした

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