“女ボディーガード”チャイナの野心と苦悩――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第249回(1997年編)
“世界の9番めの不思議”という変わったニックネームは、あのアンドレ・ザ・ジャイアントのニックネーム“世界の8番めの不思議”の続編で、いわゆる“世界の七不思議”の現代版だった。
WWEのリングでは女子レスラーとして初めて“ロイヤルランブル”に出場したほか、インターコンチネンタル王座を2回獲得。“相棒”トリプルHとの交際も公表したが、それぞれがスーパースターへの階段をかけ上がっていく過程で破局した。
チャイナはチャイナに変身してから3年後に男性誌『PLAYBOY』(2000年11月号)のカバーガールとなり、センターフォルド・グラビアでヌード写真を公開。自伝本『イフ・ゼイ・オンリー・ニューIf They Only Knew』もそれから3カ月後の2001年1月に出版された。しかし、このあたりからチャイナのなかで明らかになにかが狂いはじめていた。
WWE、というよりもビンス・マクマホンとチャイナは“チャイナ”の商標登録、版権、知的所有権などをめぐってもめにもめ、チャイナ自身は2001年11月、契約更改をせず、4年9カ月間在籍したWWEを退団。ロサンゼルスのマネジメント会社(弁護士事務所)と新契約を交わしハリウッドに活躍の場を求めた。
WWEスーパースターとしてのチャイナはここでいったん消滅するが、プロレスラーとしては2002年にセミレギュラーのポジションで新日本プロレスで活躍。アメリカ国内ではリアリティー・ショー、トークショー番組、ミュージックビデオなどに数多く出演。アダルトビデオにも出演して話題を集めた。
しかし、パブリックイメージとプライベート、わかりやすくいえばフィクションと現実の境界線をさまようにようになって心のバランスを崩し、アルコール依存症、薬物依存症でリハビリ入院と退院、再入院をくり返した。
WWEのリングから姿を消してから15年後の2016年4月20日、カリフォルニア州ロレンドビーチの自宅アパートで死んでいるのを、SNSが数日間更新されていないことを不審に感じて訪ねてきた友人に発見された。死因は薬物の過剰摂取による急性ドラッグ中毒。46歳だった。
チャイナの脳の一部は慢性外傷性脳症CTE(Chronic Traumatic Encephalopathy)の医学的研究のためカリフォルニアの医療機関に寄付され、チャイナ自身の生前の希望どおり、遺体は火葬され、太平洋上に散骨された。現在のWWEユニバースは“世界の9番めの不思議”を知らないかもしれない。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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