レジーねえさんは勝つと決めたらちゃんと勝つ人である――フミ斎藤のプロレス読本#133[ガールズはガールズ編編エピソード3]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199×年
レジー・ベネットは口が悪い。強調したい部分があると、どんな単語にでも“ファッキン”をつける。怒りはじめると、こんどはそれが“マザー・ファッキン”になる。
状況はマザー・ファッキン・バッドである。レジーねえさんは、あまり深く考えずに“U★TOPトーナメント”にエントリーしてしまった。
あまり深く考えずに、というのは適切な表現ではないかもしれない。ようするに、なんとなくタイミングが合ってしまったということらしい。
なにか新しいことにもトライしてみたいなんて考えていたら“なんでもあり”への出場のオファーが舞い込んできた。レジーねえさんはふたつ返事でこれに応じた。
UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)だったらビデオで何度も観たことがある。そういう闘いをじっさいにやってみたいかどうかは別にして、たいていのアメリカ人レスラーはUFCにイカれちゃってる。
“なんでもあり”の闘いへの強い関心。ほんとうにそれをやってしまったらどうなるか、という素朴な疑問。
レジーねえさんは、オトナになってからゲンコツで他人(ひと)の顔をぶん殴ったことがない。ふつうに生活していたら、フツーはそうである。
非日常的なスポーツであるプロレスでもクローズド・フィスト(握りこぶし)によるパンチは反則とされている。
プロレスでは5カウント以内の反則が認められているから、その気になれば4回くらいは握りこぶしで相手をひっぱたける計算になる。でも、レジーねえさんはそういうプロレスはあまり好きではない。
日本でプロレスをやるようになっていちばんびっくりしたのは往復ビンタの習慣だった。アメリカ人の感覚では、ビッチ・スラップ(平手打ち)は侮辱のなかの侮辱ということになる。
試合中にあんまりバチン、バチンとほおを張られたらやっぱりムカッとくる。レスリングにも文化のちがいみたいものがある。
アメリカ人にとってファイト(ケンカ)とは殴りっこのことだ。ボクサーとファイターは同義語。顔をぶん殴るときはクローズド・フィストに決まってる。
レジーねえさんはプロレスらしいプロレスが大好きなハッピーなプロレスラーで、“なんでもあり”はプロレスとはまったく異なる競技だ。
全日本女子プロレスの事務所のすぐ上の1DKのアパートメントはやたらと暑い。エアコンが壊れているから修理に来てくれといくら頼んでも、あいまいな返事しか返ってこない。
レジーねえさんは扇風機のまえに腰をおろして汗をかきかきイメージ・トレーニングに励んでいる。
ロッシー小川企画部長によれば、勝てば天国、負ければレスラー生命はおしまいという過酷な闘いになるのだという。ケン・シャムロックだ、ダン・スバーンだ、ホイス・グレイシーだ――。
「ふーん、そうですか」レジーねえさんはそういう人たちをちっとも偉いと思っていない。ただ、“あれ”をやるからには勝つことを考えなければならないし、きっちり勝つためにはそれなりの準備をしておかなければならない。
そして、いちばん大切なことは、自分のなかに闘う理由をみつけることである。
レジーねえさんはこう考えた。カントリー・バンドのバックコーラスのあとがエアロビクスのインストラクターで、そのあとがボディービルディング。ボディービルディングのあとがパワーリフティングで、それからプロレス。
ルイジアナ、テキサス、ロサンゼルス、ミネソタ、フロリダ、そしてまたカリフォルニア。いつもなにからなにまでひとりで決めて行動してきた。
プロレスのつぎはなにをやるのかとたずねられたら、わからないと答えるしかない。プロレスが大好きで、やるのもやられるのも大好きだから、いまのところプロレスのほかにやりたいことなんてない。
プロレスの達人とは、たぶん“受け身の達人”とか“タイミングの達人”とかをいうのだろう。相手がプロレスラーだったら、やってもやられても、闘い終わればノー・サイドである。うまい人のプロレスを観ていると、うっとりしてしまうことだってある。
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