五紀さんとガールズのシーズンズ・グリーティングス――フミ斎藤のプロレス読本#144[ガールズはガールズ編エピソード14]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
ニューヨークの冬はしっとり寒い。映画なんかでよくみかける、道ばたのマンホールから白い蒸気のようなものがあがっているあの風景が、ほんとうに街のワンシーンになっている。
マンハッタンは人間が多くて、1分のスピードが速いところだけれど、この季節になるとやっぱり街じゅうにクリスマス・スピリットがちりばめられている。五番街をゆく人びとは、みんな映画『ホーム・アローン2』の登場人物になれる。
全日本女子プロレスの豊田真奈美、下田美馬、三田英津子、山田敏代の“昭和62年組”は、イーストヴィレッジのセント・マークス・プレイス通りを歩いていた。
このあたりはトーキョーでいうと原宿の竹下通りのようなお買い物ポイント。革ジャン屋さん、ボディー・ピアス・ショップ、怪しいTシャツ屋さん、GAPのオフィシャル・ショップなんかが立ち並んでいる。
ジャパニーズ・レストラン“go(碁)”はこの通りのまんなかあたりにある。
永井五紀さんは、豊田の顔をみるなり、もう涙ぐんでいた。そこに立っているのは、無口で田舎くさくてちょっとデブな“トヨタ”ではなくて、強くなって洗練されて自信をつけてニッコリ笑って顔じゅうでスマイルをつくることのできる“豊田真奈美”。
トヨタは、五紀さんがまだ“山崎五紀”だったころの最後の付き人だった。
“昭和62年組”を西暦に直すと1987年。五紀さんはこの年の秋から翌1988年春までの約半年間、WWEのリングに上がっていた。
イツキ・ヤマザキとノリヨ・タティーノ(立野記代)のジャンピング・ボブ・エンジェルスはまぎれもなくスーパースターだった。豊田が好んで使う正面跳びのドロップキック、ミサイルキックは明らかに山崎五紀のそれがモチーフになっている。
レストラン“go”はいままさに週末のピークアワーを迎えようとしていた。かなり忙しくなりそうだ。五紀さんの夫honeyで店長の勇巳(いさみ)さんがカウンターのなかで必死にお寿司を握っている。
五紀さんは2児の母になっていた。長女の瑠夏ちゃんは2歳。長男の武蔵くんは生後6か月のベイビー。
たくさんのお客さんがいちどに入ってきて、またいちどに出ていく。五紀さんはお店の端から端までを行ったり来たりしながら、3回にいちどくらい「サンキューThank you」といって頭を下げる。豊田たちはその光景を奥のほうのテーブルから眺めていた。
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