“天上人レスラー”になったブル中野――フミ斎藤のプロレス読本#135[ガールズはガールズ編エピソード5]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199×年
天上人と書いて“テンジョービト”と読む。天上は空の上、この上もないこと、物事の至りきわまること。ブル中野をこう呼んでいるのはアジャ・コングである。
ブル様とアジャは“赤いベルト”を争った仲だ。女子プロレスというジャンルをちょっとでも知っている人だったら“赤いベルト”がどういうものであるかはちゃんとわかっている。
女子プロレス界のピラミッドはほんとうにわかりやすい構造になっている。かんたんにいえば、赤いチャンピオンベルトを持っているレスラーがナンバーワン。だれもが認める厳然たる事実、というやつである。
一番。横綱。トップ。“赤いベルト”にはこういう形容詞がすべてあてはまる。天下を盗りたかったら、ベルトを盗りにいくしかない。アジャは、ブル様の腰に巻かれていた赤いベルトを腕ずくでひっぺがした。
ブル様に勝ったその日から、アジャは自分のサインのよこに“WWWA世界C”と書き加えるようになった。アジャは名実ともに女子プロレスの頂点にかけ上がった。
ふつうだったら、ここで物語は終わる。敗れた前チャンピオンは静かにリングを去り、新チャンピオンの時代がはじまる。めでたし、めでたし、というぐあいにだ。
でも、じっさいはそうはならなかった。ブル様はリングに残った。リングに残って、ほかのみんなからはちょっと離れて、純粋にプロレスだけをつづけることを望んだ。
だれと競争するわけではなく、追いこすことも追いこされることもない。ブル様のなかでプロレスがアートになった。
“ブル中野・全女イズム伝授七番勝負”なんてタイトルのシリーズ企画があった。これからメインイベンターのポジションに上がってくる7人のレスラーたちとブル様がひとりずつシングルマッチでぶつかっていった。
しっかりとテーマが設定されている闘いだから、リング上が“大作”にムードになった。そこにチャンピオンベルトがあろうとなかろうと、ブル中野とのシングルマッチはどんな女子プロレスラーにとっても特別な試合である。
“赤いベルト”を持っているのはアジャだから、実力ナンバーワンがアジャであることに変わりはない。いまのブル様は、実力とか番付とかそういう重要ではあるけれどわずらわしくもあるもろもろのこととはまったく別の次元でプロレスをやっている。
アートだから、新しい技の開発なんかが楽しくてしようがない。自由な発想がある。気楽にやれる。おそらく、ブル様は“中野恵子”にストップをかけたのだろう。
“ブル中野”と“中野恵子”はまったくふたつの異なる人格だ。顔にメイクをほどこしてるときといないときとではそれくらいパーソナリティーが変わる。
きっと、超越的な没入ができる人なのだろう。“ブル中野”だったらなんだってできるけれど、“中野恵子”に戻っちゃうと自信がなくなったり、怖がりになったりしてしまう。
でも、ふたつの人格があったほうがバランスがいい。ブル様は調和とハーモニーを重んじる。
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